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201系回顧録その2 眠れる重鎮 〜

社会交通工学科3年 1065番 柴田 吉輝

1. はじめに

 2011年10月17日。関東最後の“朱色一号”をみにまとった201系が本線上から姿を消した。それから丸2年。ステンレスボディが眩しいE233系に交じって静かに次の時をまっている車両がいる。その名は“クハ201-1”。
 保存や展示の一報も無いまま2年半も雨ざらしとなっている。
 今回はそんな“眠れる重鎮”のこれまでの軌跡をたどってみたいと思う。


2. トップナンバーの活躍

 形式クハ201のトップナンバーである“クハ201-1”は1981年7月、東急車輛製造で誕生した。1979年の試作車201系900番台の流れを受け継いだ記念すべき量産車第一号である。最初の配置は三鷹電車区。その後、中央線快速の車両配置区の変更により、武蔵小金井(1983.3)、豊田(2004.3)へと配置換えされていく。
 武蔵小金井所属時代から“H1”編成とよばれる編成に属し、東京側1号車を務めた。H編成は、主に分割併合を行う運用に就いており、中央特快・通勤快速・ホリデー快速等の列車に充当された。
 2006年12月にE233系の運行が開始されると、201系は週に一編成のペースで運用を離脱。2007年7月には、E233系の分割位置に合わせ、東京側から4+6輌編成だったものを6+4輌編成に変更した新H編成が誕生。変更前が25編成だったものに対し、変更後は7編成へと減少した。この中にはH1編成をはじめ、最後まで残ったH4、H7編成が含まれる。この時組み換えを行わなかった編成や青梅・五日市線で運用していた編成は、そのほとんどが2007年度末までに廃車となった。
 H1編成は、2008年1月29日の69T運用で本線走行を終えた。



写真1 現役時代のH1編成




写真2 編成組み換え後のH1編成


3. 豊田で眠りにつくまで

 本線走行から引退した201系H1編成こと“クハ201-1”以下10連はこの後、2回にわたる廃車回送が行われた。
 豊田車両センター内で再び4+6輌編成に戻された後、1月31日にはクハ201-2以下6輌が廃車回送を行い、トップナンバーだけの4輌編成となった。これは、長年活躍した201系のトップナンバー車をなんとか保存できないかという働きかけがあったようである。しかしながら健闘むなしく、“モハ201-1”、“モハ200-1”、“クハ200-1”は2008年6月19日に青梅線で活躍した“クハ201-74”以下4輌とともに廃車回送されてしまい、“クハ201-1”は1輌となり、豊田で長い眠りに就くことになった。



写真3 最後の並び


4. 眠れる重鎮

 1輌になってしまった“クハ201-1”。その後、今も豊田で眠ったままである。時々クモヤ145に併結されて通電を行うことがある。これは保存への望みを捨ててはいないということなのではないだろうか。
 残ったH4・H7編成も2011年中に引退した。その中の一環で行われたツアー制の豊田車両センター公開においては、“クハ201-1”も展示された。
 この時を最後に、公式に“クハ201-1”が展示された機会は無い。2012年11月に行われた「豊田車両センターまつり」では、展示こそされなかったものの“クハ201-1”の姿を拝むことができた。



写真4 眠りにつくクハ201-1




5. 最後に

 眠りに就く“クハ201-1”。いち早く常設展示となることを期待している。



写真5 展示日はいつになるだろうか…




参考文献
  • 鉄道ピクトリアル 2006年4月号“【特集】201系・203系電車”



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