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社会交通工学科3年 1005番 安部 康太郎 |
1. 大分駅とは 写真1 大分駅上野の森口 九州の東部に位置する大分県、その県庁所在地の大分市は、大分駅を中心として開業以来その周辺に都市機能を集積させ、発展してきた。大分駅には小倉から大分県、宮崎県、鹿児島県を通る東九州の大幹線の日豊本線、大分から阿蘇の山々を通り熊本へ向かう豊肥本線、大分から由布院や日田など個性的な街を経て久留米まで通る久大本線が乗り入れている。このように3つの路線が乗り入れているターミナル駅は九州で唯一であり、乗降客数は博多と小倉、鹿児島中央に続いて4番目の多さを誇る。昔からターミナル機能としてホーム拡張や機関庫設置など大きな駅として存在していた。だがその拡張が町を南北に分断させていて、今の新横浜駅周辺のように一方が大きく発展していれば他方は閑散としているという言わば駅裏と言われる場所が存在していた。さらに、鉄道があることにより南北を縦断するときに踏切は欠かせなかったが、その遮断により交通容量は悪く、日々の渋滞が深刻な問題となっていた。特に駅から東側の踏切は、日豊本線、豊肥本線、久大本線の大分駅乗り入れ全路線が通っていて遮断時間がかなり長かったと考えられただろう。実際に撮影に何度も訪れたが、頻繁に遮断機が下ろされることがあった。この問題を解消するために高架化事業を行い、3つの路線を高架化させて周辺の踏切を解消させた。さらに、これまで発展が著しくなかった駅の南側もマンションや道路整備、公共施設を建てるなど駅周辺の街づくりが積極的に行われた。また北側も地上時代の駅舎を解体して複合施設のある新たな駅舎が工事中で、2015年の完成予定だ。 2. 歴史 明治44年、大分県からの陳情を受け、当時の九州鉄道の豊州本線が別府まで延長し、その4か月後に大分駅が開通した。それから大正元年に豊肥本線が、その3年後には久大本線が大分に乗り入れた。 駅ができた時の大分は大分市だったが、その7か月前は大分町だった。鉄道インフラがその時は大きな存在だったことを思わせてくれるものだ。日本に県市町村制が実施されたのは明治22年だが、この時九州で大分と宮崎だけは県庁所在地が市ではなく町だった。開業当時の駅付近は町はずれの田畑の状態で、駅前はイモ畑だった。駅に降りてあたりを見渡しても人気は全くないありさまだったが、大分市民にとっては待ちに待った開業で喜びは大きく、祝賀式も盛大で夜を徹してのちょうちん行列など、行事は華やかだった。しかし周辺の開発は進まず、駅前の商店街の形成も大幅に遅れた。その後、機関庫の設置や等級の昇格、さらに構内拡張など大分の玄関口として発展し続けてきた。なぜ駅周辺がそこまで田んぼだらけだったのかというと、当時の市街地は今の場所から西にあり今の中央町や竹町商店街のはずれにあり、大分県内から多くの馬車が集まり、瀬戸内海からの船荷もここに運ばれていた。駅の開設の話を聞くと、商店主の間では市街地の西に誘致していたが実現に至らなかった。だが東西に伸びる竹町よりも南北に伸びる中央町の方が賑わいを見せるようになった。やがて駅周辺は大正、昭和になって市街地化してゆき、当時存在していた市電も大分駅前まで延長し、ここが起終点となった。さらに、鉄道開通で工業も進展し、開通前から小規模で行われた製糸工業は昭和9年までの間に様々な製糸企業が誘致された。昭和10年に駅周辺はようやく都市としての姿を見せるようになったが、太平洋戦争による空襲で焼け野原と化した。終戦直後の復員列車で大分駅を降りた人たちは、駅前に何もなく呆然と立ち尽くしていたと言われている。だが、復興は早期に行われ、高度経済成長で北部の海を埋め立てて、石油会社やコンビナート会社を誘致し、臨海工業都市と化した。だがその発展が加速し続けていたのは駅の北部で、その南部は寂しいものだった。その理由としては国鉄の社宅が並び立っていたことやすぐ丘が迫っていたことなどが挙げられる。さらに、最も大きな原因は駅構内が広いために北と南が大きく分かれるようになっていた。北から南に渡るには、踏切を渡らなければならないが、3路線の通過列車や編成作業のため、開かずの踏切が周辺に多く存在し、大きな課題となっていた。今では40年近くかかった高架化計画で踏切も解消され、同時進行で今も行われている南部の再開発や道路整備も終わりに差し掛かっている。駅裏ならぬ駅南も北側に負けないほど活気づける日が近いだろう。 3. 年表
4. 駅構造 全線高架化され、その下に改札や窓口、商業施設が立ち並んだのは2012年3月の改正の事だ。駅の北側は北口から府内中央口(市街地側)、南側は南口から上野の森口(元駅裏側)と改名された。内部はJR九州の代表的デザイナー水戸岡氏によってデザインされ、かつての駅舎以上に連日にぎわいを見せている。地上時代、南北への通過には入場券を払って地下通路を通って抜ける方式だったが、高架化されてからは改札内と改札外は東西に分かれたため、南北の行き来が一直線で行えるようになった。休日にはミニ列車としてぶんぶん号が駅構内に貼られている線路に沿って運行されている。自由通路の東にはお土産店やスーパー、ファストフードが建つ豊後にわさき市場があり、終日買い物客でにぎわっている。 写真2 駅自由通路/写真3 ぶんぶん号/写真4 豊後にわさき市場 5. のりば(2013年8月現在) 番号は府内中央口(北口)側から順番に割り当てられている。 1.特急ソニック 佐伯・小倉・博多方面、日豊本線普通 幸崎・佐伯方面 2.特急にちりん 佐伯・延岡・宮崎方面、日豊本線普通 幸崎・佐伯方面 3.特急ソニック 小倉・博多方面、日豊本線普通 別府・杵築方面 4.特急にちりん 佐伯・延岡・宮崎方面、日豊本線普通 別府・杵築方面 5.日豊本線普通 別府・杵築方面 6.豊肥本線普通 中判田・豊後竹田方面 7.豊肥本線普通 中判田・豊後竹田方面 久大本線普通 向之原・由布院方面 8.久大本線普通 向之原・由布院方面 熊本からの九州横断特急は5番から7番のりば到着で、久留米からのゆふは7番8番のりば到着。 ソニックとにちりんは同じホームで乗り換えられる。 7番8番のりばは架線が設けられていないため、電車の発着ができない。 6. 大分駅で見かける列車達 1) ソニック ブルーメタリックの883系と車体全体が真っ白な885系があり、どちらも制御振り子式車両で、曲線区間の減速を少なくし、速さと快適さを両立させることができる。博多から鹿児島本線を経由して小倉へ向かい、そこで進行方向を変えて日豊本線に入り、別府や大分へ向かう列車だ。大分から小倉経由で新幹線に乗り継ぐ利用者が多い。883系はデビュー当時、写真6のように真っ青ではなく先頭部分が水色でそれ以外はステンレス無塗装だった。 写真5 883系/写真6 883系(旧色)/写真7 885系 2) にちりん 九州唯一の国鉄特急電車として走ってきた485系は2011年に定期運用がなくなるまで、このにちりんとして走っていた。今は民営化後初の特急車の783系と九州新幹線全線開業によって、リレーつばめとして使われた車両が使われなくなったため大分へ入線することになった787系が走っている。ソニックがデビューするまで博多〜大分間、さらに宮崎経由で西鹿児島まで走っていたが、系統分離と役目をソニックに譲ったことで今では大分〜南宮崎・宮崎空港間を走るのみとなった。 写真8 783系/写真9 787系/写真10 485系 3) ゆふいんの森 豊かな自然と洗練された文化、温かいおもてなしで知られる温泉リゾートや、由布院とその魅力を凝縮した列車だ。木の温もりあふれるモダンなインテリアで、列車に乗った時からリゾート気分が味わえる。博多から鹿児島本線で久留米まで向かい、そこから久大本線に入り日田や由布院を経由して大分や別府へ向かう。久大本線の特急は、別府温泉や湯布院温泉などの九州の主要な温泉地を通っていて、その区間を移動するのに役立てられている。 写真11 ゆふいんの森 4) 九州横断特急 名前の通り、日豊本線の大分と鹿児島本線の熊本を結ぶ特急で、別府から世界有数のカルデラをもつ阿蘇を越えて熊本市街地に入り、ゆったりと流れる球磨川を通って人吉を通る。 今では本州方面からの新幹線で熊本を下りて、九州横断特急に乗り換えて人吉観光への手段として多く利用されている。 写真12 九州横断特急 7. おわりに ここまで大分駅の概要と歴史を述べてきたが、JR九州は、今回の大分駅や一昨年の博多駅改良など駅そのものをまちの注目の場としてつくりあげ、地域との連携を強めていった。大分駅には新幹線は通っておらず、その計画もないが、3つの基幹路線を持ち、豊肥本線と久大本線には観光列車が毎日発着していて、国内や国外から多くの観光客が、温泉などの観光資源の豊富な大分県に訪れている。その県の玄関口である大分駅はJR九州内の新幹線の接続しない駅では利用者が最も多い。2015年には、工事中の新駅舎が完成し、様々な複合施設が出店することになっている。博多駅の倍の面積の屋上庭園や温泉施設などを備えるとしており、観光客を多く呼び込むねらいだ。これまでダイエーやパルコなどの大きな店が撤退するなど、他の都市に比べ少し劣性を感じる大分市中心部だったが、久大本線に新たな観光列車の計画が浮上しており、新駅舎とともに新たな大分をつくってくれることを期待したい。九州地方は人口の減少や高速道路整備にともなう高速バスとの競合で長い間苦戦を強いられてきたが、デザインというものによって、魅力ある観光列車や駅というまちのシンボルが観光資源となり、地域関係も大きく強まった。今後、大分駅が地域との連携を更に強くして、ビジネス面や観光面など様々な需要に応えられるような東九州の玄関口であってほしい。 写真13 工事中の大分駅新駅ビル 参考文献
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