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〜 信州と東京を結ぶ優等列車『あさま』 〜

社会交通工学科1年 2083番 谷口 勝哉

1. 黎明期の「あさま」

 昭和36年(1961)3月1日に気動車キハ55を使用した準急『あさま』の運行を開始した。この「あさま」 は群馬県と長野県にまたがる活火山『浅間山』にちなみ命名された。この「あさま」は、新潟〜小諸間 を2往復し、このうち長野〜小諸間は普通列車として運転していた。翌年の昭和37年(1962)年12月1日 には上野〜長野間を走る夜行準急列車「妙高」の名称を「あさま」に変更し、「あさま」が走っていた 新潟〜小諸間の列車名については中央西線の準急「きそ」と統合、急行に格上げされ、「赤倉」となった。 信越本線横川〜軽井沢間のアプト式の旧線と粘着運転を用いた新線を数ヶ月ほど併用していた。 昭和38(1963)10月1日のダイヤ改正により旧線が廃止となり、全列車が新線経由となった。これにより 「あさま」は急行へと格上げとなるが、列車名を「丸池」に変更したことにより、「あさま」の名は 3年間姿を消すこととなった。



2. 在来線特急「あさま」

 信越本線長野〜直江津間の電化に伴うダイヤ改正が昭和41年(1966)10月1日に行われ、3年間の時 を経て、「あさま」は特急列車の名を称することとなった。この「あさま」は田町電車区(現在の田町 車両センター)所属の181系電車8両が充当され、2往復体制となった。急勾配を登り降りするために補機 を連結する横川〜軽井沢間の保安関係上の理由により8両までと制限された。これにより輸送力の強化の ため食堂車の連結は見送られている。
 昭和43年(1968)10月1日のダイヤ改正では1往復増発され、翌年には181系は長野運転所(現在の長野 総合車両センター)に車籍が変更された。
 昭和47年(1972)3月15日には東京〜長野間と上野〜長野間でそれぞれ1往復の増発が行われ、5往復と なる。さらに翌年10月1日のダイヤ改正では向日町運転所(現在の京都総合運転所)所属の489系が投入 された。489系は横川〜軽井沢間の専用車両、EF63形電気機関車と力を合わせた運転(協調運転)や この区間を通過する為の専用装備(通称横軽対策。『横軽対策とは。』を参照のこと)を備えたことに より12両編成で運転が行える。そのため大幅な輸送力の向上につながった。翌年からは金沢運転所 (現在の金沢総合車両所)に転属する。同年の10月1日のダイヤ改正により1往復の増発が行われた。 「あさま」の快進撃は続き、2年後昭和50年(1975)の3月10日のダイヤ改正でも3往復の増発が 行われた。結果8往復体制となる。
 181系は「あさま」に充当されてから昭和50年の時点で9年経つ。この頃になると老朽化が目立つよう になった。そこで181系の後継車両として189系10両編成が新造された。この車両もEF63との協調運転が 可能な車両である。181系を順次置き換え、昭和50年の6月〜7月頃には181系の置き換えが完了していた。 10両編成だった189系も昭和53年(1978)9月27日には全て12両編成化された。189系の増備は続き、 一時的に「あさま」の運用から489系を追い出すまでに至った。
 昭和57年(1982)11月15日のダイヤ改正では上越新幹線大宮〜新潟間が部分開業したため、上越線を 走る特急「とき」が廃止された。これに伴い、余剰となった新潟運転所(現在の新潟車両センター)所属 の183系1000番代を長野運転所に移管させ、これまで189系を用いて運用を行っていた特急「あずさ」を 置き換えた。余剰となった189系は「あさま」3往復(うち2往復は季節列車)に増発するために用いられた。
 昭和60年(1985)3月14日のダイヤ改正では急行「信州」が格上げされ、「あさま」に吸収され、 15往復となる。
 国鉄最後のダイヤ改正となる昭和61年(1986)11月1日には2往復増え、このうちの16往復は長野運転所 の189系9両編成が担当し、残り1往復は金沢運転所から移動した長野運転所の489系9両編成で運行する ことになった。
 JR化後も増発は続き、昭和63年(1988)3月13日のダイヤ改正では、計18往復体制となった。8往復は 11両編成となった北長野運転所(旧長野運転所)189系が担当し、残りの8往復は従来通りの189系9両 編成が担当、2往復は同所所属の489系9両編成で運行された。
 平成2年(1990)7月27日からは189系を対象とした改造を行った。この改造では車体の色を国鉄特急色 から明るい灰色を基調にアイビーグリーン、フォギーグレーのラインの3色通称「あさま色」で塗り替え、 客室内のシートやトイレ等をリニューアルし、イメージアップと利用促進を促した。
 平成5年3月18日のダイヤ改正では、在来線特急「あさま」最後の増発が行われ、20往復となる。 しかし同年の12月1日の改正では季節列車である「あさま」9〜18号を臨時列車としたことにより、 19往復となった。
 そして平成9年(1997)9月30日。この日多くの鉄道ファンが信越本線横川〜軽井沢間に集まった。 これは北陸新幹線(長野新幹線)の開業に伴い、信越本線篠ノ井〜軽井沢間は第3セクター化、軽井沢〜 横川間は廃止となるため最後の勇姿を目に焼き付けようと詰め掛けたからである。同じく特急「あさま」 も最後を迎えた。最終の特急「あさま38号、37号」では出発駅である長野駅と上野駅で盛大な出発式が 行われた。これをもって在来線特急「あさま」は幕を閉じた。



写真1 現在も団体列車等で活躍する189系田町車両センターN101編成



3.新幹線「あさま」

 平成9年10月1日。この日北陸新幹線長野〜高崎間(通称長野新幹線)が部分開業し、新生「あさま」は デビューを迎えた。長野新幹線は翌年の平成10年(1998)2月7日から18日にかけて開催される長野 オリンピックに合わせて建設されたものであった。開業時には東京〜長野間で24往復、東京〜軽井沢間 で4往復、計28往復が設定された。この長野新幹線は全列車が「あさま」となっており、他に列車名は ない。1995年の特急「あさま」上野→長野間で2時間58分かかっていたが、新幹線化により最短 1時間21分で結ぶことができた。
 「あさま」に使用される車両は長野新幹線運転所所属のE2系N編成11本が投入された。 E2系N編成は8両編成6M2Tである。
 この長野新幹線は在来線とは別のルートを走っているが、軽井沢に向かう関係でどうしても碓氷峠を 避ける事ができず、最大で1000メートル走ると33メートル登るといった急勾配が存在している。 このためE2系は、急勾配対応の登坂能力と高速性能を合わせ持っている。東日本では電源周波数が50Hz だが、将来大阪まで整備新幹線計画があるため西日本で採用されている電源周波数60Hzと直通させ なければならない。長野新幹線軽井沢〜佐久平間には周波数が切り替わる地点が存在する。2つの周波数 を通るためにE2系では対応した機器を備えている。「あさま」は新幹線になっても特殊な装備が必要なのだ。
 翌年の平成10年(1998)には冬季オリンピック開催により急勾配、複周波数対応改造を行った200系F80 編成が投入され、臨時列車として運行されたが、それ以後は使用されることはなかった。
 今後、平成26年(2014)に長野駅から飯山、糸魚川を経て金沢駅へと向かう北陸新幹線220kmの延伸開業 が予定されている。この延伸開業で「あさま」の名は存続するか、しないかは未定である。「あさま」 の名が未来永劫残ることを願うばかりである。



写真2 長野新幹線「あさま」E2系N21編成



・横軽対策とは。

 信越本線横川〜軽井沢間にはかつて国鉄、JR史上最大の急勾配があった。この勾配は1000メートル進む だけで66.7メートル上がる。このときEF63と12両編成の特急電車を連結した場合、先頭と最後尾の高低差は 約18メートルとビル5階に相当する。アプト式から粘着運転方式に変更する際に行ったEF63の試験運転では こんな話がある。
 『ある幹部が現地の試験を見に来たときに、最も強い印象を与えようと考えて、旧形の湘南電車(80形) 七両をEF63形電気機関車二両で押しているときに、最後部の本務機であるEF63形で非常ブレーキをかけた。 電車の中間の連結器は見事にちぎれて、一両だけが離れて走りすぐに停まった。この様子を線路の横で 呆然と眺めていた幹部の表情が目に残っている。』(新幹線がなかったら、山之内秀一郎、朝日文庫、 p.121より引用)
 国鉄史上一番過酷な急勾配をもつ碓氷峠を通過するため車両に特殊な装備を必要とした。 電車においては衝撃緩和のために車掌弁に絞り取り付け、ブレーキ制限装置や空気ばねをパンクさせる 装置、横動防止に台車横揺れ制限、台枠の強化。これらの対策を施した車両にはGマークと呼ばれる 「●」のマークが車体番号の横につく。以下はその表記例である。
● クハ189-501
 この●のGマークがない電車、客車は横軽間の走行が禁止となった。現在でも189系国鉄型特急電車 には、このGマークが付けられている。これと同様に◆は中央線狭小トンネル対応パンタグラフ搭載の証である。



参考文献

1) 鉄道データーファイル、ディアゴスティーニ、No.36、pp.15-16、2004年
2) N.8【エヌ】、イカロス出版、No.32、pp.60-71、2007年
3) 碓氷峠の一世紀 運転史からみた横軽間の104年(下)、三宅駿彦、ネコ・パブリッシング、2002年
4) 新幹線がなかったら、山之内秀一郎、朝日文庫、p.121、2005年
5) RailMagazine、ネコ・パブリッシング、各巻各号
6) 鉄道ファン、交友社、各巻各号
7) JTB時刻表、JTB日本交通公社出版事業局、No.838、1995年
8) JR時刻表、交通新聞社、No.593、2012年





 
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