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〜 JR九州大分支社の列車達 〜

社会交通工学科2年 1005番 安部 康太郎

はじめに

 自分の地元はタイトル通り大分県で高校卒業まで大分支社の列車と共に歩んできた。今年は、そのJR九州大分支社内で活躍している列車及び活躍した列車を紹介したいと思う。


Unit1 電車

 JR九州管内は103系が走っているためか、福岡市営地下鉄と直通している筑肥線を除き、全ての電化区間が交流区間である。


1.1 883系




写真1 883系


 JR九州及び営業用交流電車としては初めての振り子式車両である。「ソニック」の愛称を持ち、大分から小倉経由で博多へ最速2時間弱で向かう。朝は佐伯から大分を経て博多へ向かう列車も運行している。高速道路の延伸や高速バスの利便性向上に対抗するために誕生した。1995年に運行を開始してから、所要時間は20分縮小した。車内は「楽しさ」を表現しようと、グリーン車から自由席まで、動物の耳をイメージした形の可動式ヘッドレストが装備されている。その他にも様々なデザインで、乗客を楽しませようとJR九州の車両はデザインにも力を入れている。上の写真のように、編成によって鼻の形が異なるものがある。左から順に口ヒゲみたいになっているのは2次車(AO‐3編成)、「ソニック」のS字マークは3次車と4次車(AO‐4編成〜)、ヘッドライトとして使われているのが1次車(AO‐1・2編成)である。

 今「ソニック」が走っている日豊本線はかつて「にちりん」が主力だった。国鉄時代は、博多大分間と博多南宮崎間それぞれ1時間おきに運行していた。そして他の交通機関も便利になり、鉄道も高速化に向けてこの「ソニック」が生まれたのだろう。


1.2 885系




写真2 885系


 883系と違い全体が白く、白いソニックと呼ばれていて、同じく「ソニック」として活躍している。ドイツのICEによく似ている外観とも言われている。他には、博多から長崎へ向かう「かもめ」としても活躍している。
 座席は全て革張りで、床はフローリングをしていて、高級感を出している。かつては、かもめの嘴をイメージした車両も走っていたが、今年の6月にすべて青色になった。(運用の自由度を高めるため)


1.3 783系




写真3 783系


 JR民営化後の中では初めての車両で、国鉄末期までの技術が詰め込まれている。全号車の乗降口が中央にあるため、客室は下り方面をA室、上り方面をB室に分けている。まだ883系も製造されてなかったので、九州の特急列車の顔として活躍してきた。年が経つにつれ883系や885系も誕生し、783系の運行範囲は縮小し、今は、博多から佐世保へ向かう「みどり」とハウステンボスへ向かう「ハウステンボス」。この2列車が早岐まで連結して運行するのが主となっている。ここ大分では、「にちりん」の愛称で、大分から佐伯、延岡、日向市、宮崎を通り宮崎空港へ向かう。朝と夜にソニックと同じルートも通る「にちりんシーガイア」が1日1往復運行されている。かつては、別府でソニックとの接続をとっていたが、別府での待ち時間解消のため全便大分接続になってしまった。


1.4 815系




写真4 815系


 大分の電化区間を普通列車として昼夜問わず走っている。大分でのワンマン運転開始に伴い、1999年に誕生した。JR九州になって初めての全ロング―シートの車両で、シートは背もたれと座布団が分離されている。また、シングルアーム型パンタグラフを初めて採用した車両もこの815系である。客室内の乗降ドアや運転台は黄色に塗られていて、やたらと派手になっている。かつては朝ラッシュ時に815系を2編成つなげて運行していた。誕生から2年後、815系の進化形として817系が完成し、福岡や長崎、鹿児島で活躍している。
 この系列と815系は同じ幌なので、相互連結運転や通り抜けも大丈夫である。この系列は大分の他に熊本でも活躍している。


1.5 415系




写真5 415系


 1960年代に交流直流区間両方通れる近郊型車両として誕生した。かつて常磐線でも活躍した車両である。今は、E531系が引き継いでいる。関門トンネル区間を通る際に途中で電流が変わるため、この車両がないと本州へ渡れない。関門トンネルの上からほんの少々降ってくる海水で通過する車両は天井が塩害を受けていて、それに強い415系はその被害を受けた車両の代走も行っていた。大分では、定期運用では一番古い車両で、815系と同じく大分の電化区間を走っている。4両編成のため、朝ラッシュ時は815系より混雑を緩和できる。九州の車両の中ではとても古い方なので、車内や窓を改良している編成も存在する。



Unit2 気動車

 大分地区の非電化路線を紹介する。

久大本線:大分〜向之原〜湯平〜由布院〜天瀬〜日田〜筑後吉井〜日田
豊肥本線:大分〜中判田〜豊後竹田〜宮地〜阿蘇〜肥後大津〜光の森〜水前寺〜熊本
※肥後大津〜熊本は電化されていて、815系がこの区間を走っている。


2.1 キハ72形




写真6 キハ72形


 外観は戦前の欧州の流線気動車をイメージした形である。色は全身緑で、森のイメージをした車両である。愛称は「ゆふいんの森」と呼び、博多から久大本線の久留米、日田、由布院、大分を通り別府へ向かう特急である。1日1往復だけで全席指定である。また、写真の車両も1つだけで、検査に入ると後から紹介するキハ185系が走る。また、別府と湯布院は人気の温泉地で、両者とも日本の人気温泉ランキングでベスト5入りしている。久大本線の遊蕩列車の歴史は意外と長く、1951年に臨時快速として、その10年後に準急に、平成に入り、この「ゆふいんの森」が登場した。かつては別府から小倉まで走っていた時期もあった。


2.2 キハ185系




写真7 キハ185系


 主に、久大本線や豊肥本線の特急として走っている。久大本線では「ゆふ」、豊肥本線では「九州横断特急」の特急の運用に入っている。この「九州横断特急」とは、九州新幹線開業とともに運行を開始し、別府から豊肥本線経由で熊本へ、そして八代と人吉へ行く。特急としては停車駅が多く、所要時間もかかってしまっている(1線スルー方式が少ないため)。九州横断特急ができるまでは、別府から熊本を結ぶ「あそ」号が走っていた。豊肥本線の優等列車は1954年から定期的に快速「火の山」号が走り始めてから、今につながっている。


2.3 キハ200系




写真8 キハ200系


 主に、九州の非電化区間を普通列車として走っている。1991年に福岡の福北ゆたか線用として誕生した。2001年の電化まで走り続けてきたが、それ以降はここ大分で活躍するようになった。この車両には、写真の赤の他、青、黄色の車両も存在するが、大分では赤が主力である。写真は先頭2両ついた1000番台だが、外観や車内が一新された1両編成の200番台も存在する。2006年夏に旧車の置き換えとして登場した。正面のバスみたいに大きな行先LED表示板が特徴である。この大きさはトップレベルとも言われている。側面の表示板はバスみたいになっている。かつて、日豊本線の間合い運用として、この列車が利用されるときがあった。一つは、夕方ラッシュ時の豊肥本線から大分へ向かい、さらに日豊本線に入り別府へ向かう運用と、もう一つは日豊本線の大分から佐伯へ向かう運用で、1両編成で運行している。



考察

 ここまでJR九州大分支社の車両達を紹介してきたが、大分県内の鉄道は私鉄が存在しておらず、JRだけとなっている。大分駅を中心として日豊本線、豊肥本線、久大本線が西へ、南へ、北へと伸びている。また大分駅は、「ソニック」と「にちりん」の乗換地点、気動車特急の合流地点でもあり、とても特急列車の発着数の多い駅でもある。時間帯によっては各方面の特急が並ぶ瞬間もある。



写真9 大分駅を発着する特急列車達


 また大分駅では今年の3月16日に念願の高架化が実現され、旅行者を温かく出迎えるために改良された。それまでは築50年の古い駅舎で、国鉄時代の面影の残るものだったが、周辺の踏切の渋滞や鉄道による南北の街の規模に差ができていることが問題視されていて、それを解消すべく高架化された。正直撮影する場所が減ってしまったことについては残念である。





写真10 地上時代に撮影できた光景


 今回の高架化で、南口(もう裏口ではない!)が大きく改良され、ホームは従来の4面7線から4面8線へと番線が増えたが、留置線の数は少し減ってしまい、「ソニック」や「にちりん」は到着ホームからそのまま折り返すようになった。乗り換え通路はより広くなりバリアフリー促進のためにすべてのホームにエレベーターを導入している。今までは乗り換え通路のために階段を下り、改札を出るためにまた階段を上っていた。しかし南北自由通路の導入で、両端にあった改札は乗り換え通路の中央に設置された。改札のモニターは、新しく博多駅で導入されたものと同じだと思われる。改札の反対側には新しくスーパーやお土産屋がオープンし、新たな玄関口として機能し始めた。
 しかし、高架化が実現しても未完成の状態で、北側の旧駅舎を解体し新しい駅ビルを建てる計画がすでに始まっている。完成まで4年かかると考えられるので完成するまで見守ってあげるのが我々のするべきことであるのだろう。




写真11 高架化された大分駅の姿





 
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