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〜 鹿島鉄道廃線跡紀行 〜廃線跡II〜 〜

社会交通工学科3年 0059番 兒玉 紀之

1.はじめに

 青春18きっぷとは、JR各社で発売されている特別企画乗車券である。価格は11500円で、春・夏・冬に設定された利用期間内中、 JR線の普通列車(快速列車・宮島航路)が1日乗り放題となる。1枚で5回(人)まで利用する事が出来る。
 今回は、その18きっぷを利用し、日帰り旅行(1回分:2300円)を行ったので、その旅行記を幾つか紹介する。 テーマとしては、「いかに安く、遠くまで日帰りで回って帰ってこられるか」である。



2.沿革・歴史

 ここで、鹿島鉄道の沿革や歴史を簡単に紹介する。
鹿島鉄道は、茨城県石岡市と鉾田市の石岡−鉾田駅間を結ぶ全線非電化の路線であった。 路線距離はおよそ27km、駅数17、全線単線のローカル線である。
 鹿島鉄道は、鹿島神宮の参宮鉄道として当時の鹿島参宮鉄道が開通させた路線であった。
その後、1965年に常総、筑波鉄道と合併し関東鉄道となる。 同社の鉾田線となったが1979年に鹿島鉄道に分離され、廃止時の鹿島鉄道線の鉾田線となる。



3. 路線データ


表1 行程表
駅所在地 駅名 累計
キロ
開業年 廃止日 ホーム形式
茨城県
石岡市
石岡(起点) 0.0 1924年 2007年4月1日 2面2線
石岡南台 1.5 1989年 2007年4月1日 2面2線
東田中 2.5 1964年 2007年4月1日 1面1線
茨城県
小美玉市
玉里 3.6 1971年
(信号所として開業)
1988年
(駅として開業)
2007年4月1日 2面2線
新高浜 4.2 1924年 2007年4月1日 1面1線
四箇村 5.1 1931年 2007年4月1日 1面1線
常陸小川 7.1 1924年 2007年4月1日 2面2線
小川高校下 7.8 1988年 2007年4月1日 1面1線
茨城県
行方市
桃浦 10.7 1926年 2007年4月1日 1面2線
八木蒔 12.8 1931年 2007年4月1日 1面1線
14.4 1926年 2007年4月1日 廃止時は
1面1線
玉造町 15.8 1928年 2007年4月1日 1面2線
榎本 19.5 1929年 2007年4月1日 1面2線
茨城県
鉾田市
借宿前 21.4 1951年 2007年4月1日 1面1線
巴川 23.7 1929年 2007年4月1日 1面2線
坂戸 25.0 1931年 2007年4月1日 1面1線
鉾田 26.9 1929年 2007年4月1日 2面1線
(乗降分離)

※駅所在地は廃止当時のもの



4.廃線跡、現在の状況

 昨年同様に、起点から順に各駅について取り上げ紹介する。 途中の路線跡に残されている備品についてもその都度報告していく。
 また、駅舎の残存状況及び立入規制等の関係上、一部の駅については取り上げてない。


石岡駅

 JR常磐線との乗換駅である。駅舎跡は更地になっており、 かつてここに駅が存在していたのかも怪しいほどきれいになってしまっている。 JR石岡駅の上りホームから見た鹿島鉄道石岡駅跡(写真1)。



写真1 鹿島鉄道石岡駅跡


 バス専用軌道(写真2)。ここ(石岡)から常陸小川駅まで続いている。鉄道時代、 石岡−常陸小川駅間で折り返し運転をよく行い、この区間を走る列車が多かった。 常陸小川以降の鉾田方面の列車は、半数程度の本数しか運行されていなかった。それに関連し、 この区間の定時性をより確かなものにするため専用軌道を確保したものと考えられる。



写真2 バス専用軌道


石岡−常陸小川駅間

 廃止から5年ほどしかたっていないにも関わらず、 石岡−常陸小川駅間はバス専用軌道としてきれいに整備されている。廃止直後は、レールや架線、 車両といった鉄道備品がほぼそのまま放置されていたがバス軌道整備にしたがい、 その殆どが撤去された。そのため、この区間については鉄道跡である痕跡は殆ど感じられず、 備品も残されていない。


石岡南台駅

 鉾田線の中で最も新しい駅。ニュータウンの利便性を図るために新設された。 ホーム(写真3)・駅舎(写真4)は、ほぼそのまま残されていた。



写真3 旧石岡南台駅ホーム




写真4 旧石岡南台駅駅舎


東田中駅

 新興住宅地の中にある駅。近くに学校があり、大半の利用者は学生だったようである。(写真5)



写真5 旧東田中駅


玉里駅

 かつては信号場だったが、周辺の発展により駅に昇格した。朝や夕方は、 この駅と石岡までの区間列車が運転されていた(写真6)。



写真6 旧玉里駅


常陸小川駅

 利用客も多く、この駅を始発終着にする列車もあった。貨物用ホームも存在していた。また、 貨物時代に使用していたと思われるディーゼル機関車も駅構内に一時残されていたが、 現在は解体され残っていない。 肝心の現在の様子は、 駅舎・ホーム共に完全に撤去され駅前の広場であろうスペースが残るのみである (写真7) 。 廃線後のバス路線のターミナルになっている。茨城空港への路線バスも発着している。



写真7 旧常陸小川駅


常陸小川−鉾田駅間

 この区間は、前の区間と違いバス専用軌道は整備されていない。手が入っていない分、 前の区間よりは痕跡が残っているのではないかと期待しつつ進む。


小川高校下駅

 駅名の通り、高校近くにある駅。そして、見つけたホ−ム跡(写真8)。 ようやく鉄道が走っていたという痕跡を発見。なんとホーム上には、 旅客運賃表もそのままになっていた(写真9)。 書き方といい、落ち具合にも哀愁が漂っている。 さすがに5年たつと草が伸び放題である。ホームの壁面には、存続を願うペイントも。(写真10)



写真8 旧小川高校下駅




写真9 旅客運賃表




写真10 ホームの壁面


桃浦駅

 桃浦駅前跡(写真11)。ここには、駅舎も残されていた。 構内脇には、信号設備の一部も残存している(写真12)。 また、標識の一部と思われるものもあり鉄道跡だという認識がかなり高い駅である(写真13)。



写真11 旧桃浦駅




写真12 信号設備




写真13 標識


浜駅

 霞ヶ浦の湖畔近くの駅。あさざの群生地があるらしく、当時の看板が残っている(写真14)。 その奥に見えるは、元枕木だったと思われるものが山になっている。



写真14 旧浜駅


坂戸駅

 石岡からちょうど25キロ地点。坂戸駅跡である。 ホームの手前には、キロポストを発見!(写真15)
 ホームの片隅には、勾配標識もしっかりと残っている(写真16)。 ここまででめずらしく、線路以外のものは殆どそのまま残っている駅だと言えそうだ。 ここは、県道からはずれ住宅地の奥まった場所にあるので、 ここまで残っている駅を危うく見逃すところだった。



写真15 キロポスト




写真16 勾配標識


鉾田駅

 いよいよ終点鉾田駅である(写真17)。ホーム2面で、 乗車・降車口が分離されていて線路を挟みこむ形状になっている。 ところどころ大きく陥没しているのが見受けられるが、 これは昨年の東日本大震災の影響だと思われる。被害の大きさとともに、 もう使われることもなくなりそのまま放置されているのを見ると切なさがこみ上げてきた。



写真17 旧鉾田駅


 最後に常陸小川−鉾田駅間では、踏切跡があったので紹介する。
 榎本駅付近に見られた踏切跡。バラストが見られ、枕木もそのままになっている。(写真18)
 鉾田駅をバックに石岡方面を見る。踏切部のみ残されている。 かつては、線路がずっと繋がっていた。(写真19)



写真18 踏切跡




写真19 踏切跡



5. 最後に

 今回も廃線跡について、 書かせて頂いて調査したが石岡―常陸小川区間については前記の通りめぼしいものは殆どなかった。 常陸小川以降についても正直期待はしていなかったが、調査の結果いくつか発見することができた。 廃線後長くは時が経過していないので、残されているものにもまだ新鮮さがあるように感じた。
 最後までありがとうございました。



6. 参考文献

  • 湖を眺めて鹿島鉄道 www.tawatawa.com/densha5m/page007.html
  • 鹿島鉄道廃線 www.geocities.jp/takeshi_departure/kasimahai.html





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