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〜 中央線快速 201系 〜

社会交通工学科 1年 1065番 柴田 吉輝

0. はじめに

 みなさんはおぼえているでしょうか?去年の秋まで31年に渡り活躍してきたあの車両。201系のことを・・・
 今回は自らの回顧録の意味も込めて、主に中央線快速で運用されてきた201系の活躍と最後の1年間について振り返ってみたいと思う。



1. 201系の運用範囲と種別

 201系は使用された線区によって車体の塗装が異なるが、 今回は主に中央線快速と青梅線で使用されていた朱色1号と呼ばれるオレンジ色に塗装されていた車両について取り上げる。 (線区は図1-1参照)



図1-1 201系の運転区間





写真1 中央線快速用201系 T1編成(吉祥寺)



 中央線快速で使用される201系の運用範囲は、東京を起点に各地へと運行され多岐にわたっていた。 ここではそれぞれの線区ごとに紹介していく。


1−1 中央線快速(東京⇔高尾)

 首都圏の大動脈、中央線快速では1984年2月のダイヤ改正をもって武蔵小金井電車区(現:豊田車両センター武蔵小金井派出) から最後の101系が運用を離脱し201系化が完了している。2006年12月のE233系の運用開始まで22年間にわたり中央線快速を支えてきた。 快速区間での運用は早朝・深夜帯に運行される各駅停車、日中の快速列車、高尾方面の中央特快と青梅方面の青梅特快、 通勤時間帯の通勤特快・通勤快速、休日運転のホリデー快速で201系は使用されてきた。



写真2 中央線快速で運用する201系(御茶ノ水-四ツ谷)



 また新宿駅の高架橋架け替え工事のため、終日各駅停車として運行していた日もあり、白昼堂々と緩行線を走行する姿がみられた。



写真3 緩行線を走行する201系(千駄ヶ谷)




1−2 青梅線(立川⇔青梅⇔奥多摩)

 立川を起点とする青梅線には、東京始発の中央線からの直通列車のほかに、 2001年3月頃から青梅線・五日市線専用の201系が運用されるようになった。 これは三鷹電車区(現:三鷹車両センター)所属の中央総武緩行線用の201系の一部が豊田電車区(現:豊田車両センター) に転属の上、朱色1号に塗装変更されたもので、 国鉄末期に投入された軽装車と呼ばれる201系でも、車齢が比較的若い車両も転属してきた。



写真4 ホリデー快速に充当される201系(三鷹)



 さらに土休日に運転される新宿始発のホリデー快速おくたま・あきがわ号の運転も201系が使用されており、 本来は中央線快速用の201系が入線しない宮ノ平⇔奥多摩間も走行する姿を見ることができた。
 2001年の夏からは展望型車両として201系4両が改造され“四季彩”としてデビューした。
 当初は五日市線などでも運用されていたが後述のとおり八高線に貸し出されたり、 臨時列車として南武線や富士急行線、武蔵野貨物線での走行実績もある。 晩年は13デ運用で固定され、土休日に運行される以外は豊田車両センターにて本来の訓練車として使用された。



写真5 青梅線内を走る展望型電車四季彩(御嶽-川井)




1−3 五日市線(拝島⇔武蔵五日市)

 五日市線では前述の線内専用の201系と中央線からの直通列車が201系で運転されていた。 基本的には線内は全て各駅停車となっており、青梅線に直通し立川まで運転される列車もある。



写真6 青梅・五日市線用201系(東秋留)



 五日市線内では東京発快速武蔵五日市・高麗川行きが2本、武蔵五日市発東京行きが2本設定されていた。 平日は2本とも高麗川始発の4連と拝島で併結。土休日は高麗川始発と併結し青梅特快東京行きとして運行されていた。



1−4 八高線(拝島⇔高麗川)

 八高線内では平日は早朝の高麗川発東京行き快速が2本、土日は青梅特快東京行きが1本、 夜間は東京発高麗川・武蔵五日市行き1本が運行されていた。上記の列車は拝島で分割・併合が行なわれていた。



写真7 拝島での連結作業(拝島)



 2008年3月改正では、それまでの拝島・武蔵五日市行きが分割位置の変更から武蔵五日市・箱根ヶ崎行きに変更になったが、 この運用に201系が充当されることは無かった。
 2003年8月には八高線内専用の103系が故障し、車両が不足したことから四季彩が八高線運用に充当されたが、 積み残しが発生したことから武蔵小金井電車区の付属編成が使用され、代走ながら八王子⇔川越間で通常運用に入った。



1−5 中央本線(高尾⇔大月)・富士急行(大月⇔河口湖)

 中央本線大月への乗り入れは、1985年10月の臨時列車から開始された。日中は東京始発の快速や中央特快が運転されている。 2000年頃からは201系の貫通編成のパンタグラフのPS35C化が進み、大月への乗り入れが開始された。 富士急行線へは分割編成が1日2往復乗りいれていた。
 また分割編成の内6編成は中央本線内の初電で使用される運用があったため、霜取りパンタグラフを搭載していた。 (H6・H20〜H25編成)その中でもH6編成は霜取り側がPS35Cのパンタグラフで異彩を放っていた。



写真8 霜取りパンタグラフ搭載のモハ201-24(立川)


2. 最後に

 201系の運用について、簡単ではあるが振り返ってみた。実車が引退してしまった今であるからこそ、 このように振り返る意義があるのではないかと思っている。この記事が何かの役に立てば筆者にとって幸いである。



3.参考文献

  • 鉄道ピクトリアル No.796 2007年11月『特集 中央線快速電車』
  • 鉄道ピクトリアル No.774 2006年4月『特集 201系・203系電車』




 
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