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〜 伊予鉄道の路面電車 〜

社会交通工学科 1年 1125番 桝田 晃弘

1.伊予鉄道の路面電車

 夏目漱石の坊ちゃんと聞いて、鉄道ファンが思い浮かべるのは坊ちゃん列車であろう。その坊ちゃん列車が走る伊予鉄道の歴史は古い。さかのぼることおよそ120年、1888年に四国発の鉄道として伊予鉄道は産声を上げた。松山〜三津間という短い路線から、延伸、買収、合併を繰り返し今の路線網が出来上がっていくのだ。今回はその中でも、市内の重要な交通となっている市内線に焦点を当てたいと思う。



2.市内線を走る車両

 伊予鉄の市内線を走る車両は大まかに分類して、モハ50形、モハ2000形、モハ2100型、坊ちゃん列車の4種類に分けられる。この中でも、自分が特に好きな車両であるモハ50形、モハ2000形について今回は紹介したいと思う。

2-1. モハ50形 51〜53

 伊予鉄市内線の中でも最古参のグループ。小型車の置き換えとして1951年に登場、市内線初のボギー車でもある。最初は両端2扉だったが、1966年のワンマン化対応に向けて中扉式に改造された。



写真1 爆音を出すモハ50−53





写真2 きれいな走行音のモハ50−51



 ここ1〜2年で全般検査の時期が来ており、再塗装されて美しい車体になっている。しかし51と52はすでに1年ほど経過しているため雨の跡が目立ち始めてきている。内装は初期の車両らしく木がいたるところに使われている。
窓の形もバス窓とは異なる構造になっており、この構造は51〜55の5両のみである。しかし走行音は釣り掛けながらも安定しており、心地よいモーターサウンドを奏でる。
 一方53は新しい塗装だが、下からたたき上げるようなモーター音を出す爆音車になっている。乗ってみると分かるが、あまりにもうるさいので耳栓がほしくなるほどである。そして、53のみが幕の更新を受けている。


2-2. モハ50形 54〜55

 1953年製造。51〜53の増備形。よって差異もあまりない。ちなみに54は電車でGO!旅情編の車両としても収録されている。この2両も1〜2年の間に全般検査を受けているが、54は塗装が新しく、以前はちゃんとした走行音だったのだが、検査を受けて以降爆音車の類になってしまっている。55は若干雨跡が目立ち始めるも、走行音はとてもきれいである。



写真3 ゲームに収録されたモハ50−54




写真4 美しい走行音のモハ50−55




2-3. モハ50形 56〜58

 1954年製造。この車両からは中扉方式の状態で製造になったため、51〜55に比べて中央扉がやや広い。また、この車両からバス窓、Hゴムなどを採用し、雨樋の位置が異なるなど細かい部分に違いが出ている。内装は木から金属に変わったようで、クリーム色に塗装されている。
 そして56も54と同じく電車でGO!旅情編に収録されているが、実車は2100型の増備により、2005年3月に廃車された。57、58は現役で、両方とも1〜2年以内に検査を受けており、塗装は新しい。しかし、57と58で走行音にかなりの差があり、57が爆音、58がきれいな走行音となっている。以前は58も爆音車だったのだが、いつの間にか音がきれいに戻っていた。



写真5 古町車庫で休むモハ50−58




2-4. モハ50形 59〜61

 1957年製造。51〜58に比べて運転台中央窓が広くなっている。台車もコロ軸受け付き防音防振のFS−78に変更。車体表記の数字の大きさも太めになっており、60は数字が銀色、59、61は黒となっている。60は現在休車となっており、古町車庫に数年留置されている。59、61は1〜2年以内に検査を受け今も現役。塗装と走行音は両方ともきれいで安定しており、59が幕の更新を受けている。



写真6 市駅にて モハ50−61




写真7 坊ちゃん列車と並ぶモハ50−59




写真8 かすかに銀色の数字が見えるモハ50−60




2-5. モハ50形 62〜64

 1960年製造。この車両から軽量車体に切り替わり増備が進められた。側面のふくらみ、リブやリベットが特徴。前扉が二扉となり、車端側に開くようになった。正面運転台窓はさらに大きくなり、前面形状は大幅に変わっている。2100形の導入で2003〜2005年にかけて廃車され全廃。当時は撮影、乗車できなかったため詳細は不明。



2-6. モハ50形 65〜69

 1962年製造。62〜64のマイナーチェンジ版で、前扉が2から1に戻ったことが概観上の違いといえる。全般検査を受けてからだいぶ時間が経っており、どの車両も塗装が古くなってきている。そのせいか走行音もすべてが爆音で、きれいな音を出す車両は今のところ確認できていない。一部の車両は幕の更新を受けているようである。
2100形導入に伴い、2003年に65が廃車、時期は不明だが69が休車、数年古町車庫に留置されている。写真撮影の翌日移動されていたことから、解体の可能性もある。



写真9 大街道付近を走るモハ50−66




2-7. モハ50形 70〜78

 軽量車体グループの最終増備形。1963年に70〜73、63〜65年にかけて74〜78が製造された。70〜78以外は製造がナニワ工機(現アルナ車両)なのに対し、このグループのみ帝国車輛(後の東急車輛大阪)製造となっている。外観的な変更はないが、ふくらみ、リブ、リベットがなくなりすっきりとした車体に仕上がっている。
 このグループは伊予鉄の中で一番爆音車が多く、特に75と78は、頭が痛くなるほどのひどい爆音を放っている。一部の中では走る騒音公害とも揶揄されているらしい。きれいな走行音を奏でる車両は少なく、現在は76のみとなっている。以前は70もきれいな音を出していたが、検査を受けて以降爆音車の仲間入りを果たしている。
 66〜78はモハ2000形と同じく自動放送装置が更新されており、2100形と同じ仕様のものが使われている。一部の車両は幕が更新されている。ちなみに70は電車でGO!旅情編に収録されている。



写真10 走る騒音公害モハ50−75




写真11 唯一の美しい走行音モハ50−76




2-8. モハ50形 1001〜1003

 1959年に呉市交通局1000形として登場。その後軌道線全廃により伊予鉄に譲渡された。概観上の違いは譲渡の際の工事でほとんどなくなり、車番フォントのみが呉時代を思わせる。1003は2001年に事故廃車、1001、1002も2100形導入に伴い2002年、2004年に廃車された。1002は電車でGO!旅情編にも収録された車両であり、ゲームの中でその走る姿を見ることができる。1001は呉市に返還され、前照灯の位置や塗装などを呉市電仕様に戻すなどの復元工事がなされたのち、呉ポートピアパークに保存された。



2-9. モハ2000形 2002〜2006

 京都市電最後の新造形式として1964年に製造された。1977年に廃車され、保存予定の2001を除く5両が譲渡された。各種改造工事が施され、京都市電時代の面影はあまりない。走行音は一部の時期を除き安定しており、すべての車両がきれいな音を出している。しかし全般検査前になると音がひどくなってくる。2009年に自動放送装置が2100形と同一のものに更新され、現在では幕もすべての車両が更新済みとなっている。そして2005は、電車でGO!旅情編にも収録されている。



写真12 検査を受けきれいになったモハ2000−2003




写真13 さびが目立つモハ2000−2005





3.参考文献
 「伊予鉄が走る街 今昔」 JTBキャンブックス:大野鐡、速水純

 
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