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社会交通工学科2年 0059番 児玉 紀之 |
1.はじめに 今回、廃線跡として取り上げた「筑波鉄道筑波線」はかつて茨城県土浦市から岩瀬町(現桜川市)を結んでいた路線である。 実家が茨城県岩瀬町(現桜川市)にあることもあり、今回記事を書くにあたり、 身近なところで少しでも自分が理解しているところがよいと思い筑波線を選定した。 2.沿革・歴史 筑波鉄道筑波線は、常磐線土浦駅を起点とし筑波山麓を通り水戸線の岩瀬駅へ結ぶ全線非電化の私鉄である。 1〜2両の気動車で運転されていた。観光シーズンには、 上野から「つくば号」・日立、笠間方面から「筑波山号」・「しらぎく号」が直通運転されていた。 また、通勤通学列車として岩瀬経由で小山駅まで乗り入れていた時期もあった。 土浦−新土浦駅間には、真鍋機関区があり検査全般が行われていた。検査等のための車輌交換の際には、 変わった運転方法をとっていた。その方法は、真鍋機関区において上り列車の後に回送車を連結させ土浦まで行き、 折り返しの際にそれまでの回送車を営業車に営業車を回送車扱いにして下り列車を運転し、 真鍋機関区で回送車切り離しを行うというものだった。 かつては、観光鉄道・通勤通学の足として栄えたがモータリゼーション等に押され、 乗客減少に追いやられ1987年3月31日の真壁行を最後に翌4月1日に廃止された。 3.路線データ
4.廃線跡(現在の状況) ※注意 坂田・上大島駅についてはホームが現存していないため取り上げない。 旧筑波鉄道跡は、廃止後に茨城県が平成3年から平成14年までの約11年をかけて整備を進め、 サイクリングロードとして生まれ変わらせている。 この茨城県道501号岩瀬土浦自転車道は「つくばりんりんロード」(写真1)という愛称で慕われており、 プラットホームがほぼそのままの形で残されている。主な駅跡は、整備され休憩所が設けられている。 また、路線内の鉄道備品も残されている箇所がある。 写真1 つくばりんりんロード 写真2 旧土浦駅跡 旧土浦駅跡(写真2)。JR常磐線との連絡駅であった。廃線前は1番線が筑波鉄道、2〜4番線(2番線:下り水戸方面、 3・4番線:上り上野方面)を常磐線が発着していた。廃線後は、番線変更が行われ旧2番線が新1番線のように1線分下げられた。 また、旧1番線筑波線跡は線路がコンクリートで埋められ整備されたのち駐車場になっている。現在では、 ここがホームとして使われていた形跡はほとんどない。ホームの石垣らしきものと屋根がほぼそのままの形で残っている程度である。 土浦駅を出て、少し走ると常磐線との分岐点がある。ここから、筑波線は常磐線と別れ北西方向へ進んでいく。 常磐線と併走している区間では、電化されていない旧筑波線の線路と思われるものも残されていた。 新土浦駅跡(写真3)。ホームがそのままの形で残されている。ホーム上には、 古レールを使った待合室のようなものがあったようである。写真4は、新土浦―虫掛駅間に残る踏切柵。 写真5は、虫掛駅構内に残る4キロポスト。駅の片隅の草むらの中に横たわっていた。 写真3 新土浦駅跡 写真4 新土浦―虫掛駅間に残る踏切柵 写真5 虫掛駅構内に残る4キロポスト 虫掛駅跡(写真6)。かつては、もう1面ホームがあり列車の交換が可能だったらしいが、 現在はこのホーム1面が残されているのみである。駅構内には、 上の写真のような4キロ地点を示すポストが坂田駅側の草むらの中に残されている。また、 この旧虫掛駅はりんりんロードの土浦方面からの最初の休憩所になっており、トイレが完備されている。 常陸藤沢駅跡は、きれいに整備され公園のような空間に仕上がっている。写真7は、常陸藤沢―田土部駅間に残る踏切跡。 両側に踏切柵が残っていた(片方は地面に埋もれている)。 写真6 虫掛駅跡 写真7 常陸藤沢―田土部駅間に残る踏切跡 田土部駅跡(写真8)。駅構内には、横断歩道を挟んで踏切の基礎(写真9)が残っている。ホームは、草が伸び放題でちょっと見 ただけでは駅跡だとは分かりにくい。 写真8 田土部駅跡 写真9 残された踏切の基礎 常陸小田駅跡(写真10)。常陸小田駅は小田城の城跡の一角にあった駅。 線路は城内を貫く形で走っていた(バリケードの先の砂利道)。りんりんロードは、城跡を迂回する形で通っている(写真11)。 常陸北条駅跡のホーム上には、建物の基礎が残っている。ここに待合室があったようである(写真12)。ホームの下は、 草が生い茂っておりそこに駅名標の枠らしきものが無造作に放置されていた。 写真10 常陸小田駅跡 写真11 迂回するりんりんロード 写真12 待合室跡 写真13 筑波駅跡 写真14 残された勾配標識 酒寄駅跡(写真15)。道路拡張工事のため、ホーム半分が消えてしまっている。 半分残るホーム跡の中ほどには駅名標の枠が残っている。 紫尾駅跡(写真16)。ホームには、枕木のようなものが立っていた。また、 ホームの端には鉄道部品と思われるものも散乱していた。(写真17) 写真15 酒寄駅跡 写真16 紫尾駅跡 写真17 散乱した鉄道部品 常陸桃山駅−真壁駅間に残る踏切渡板(写真18)。これとは別に、駅前にも踏切渡板が残っていた。 真壁駅跡 (写真19) 。廃線後、駅前はバス停として利用されていたが現在ではバス路線も廃止され、閑散としている。 樺穂駅跡と構内に残る勾配標識(写真20)。板は朽ち果てて途中でなくなっている。 写真18 残された踏切渡板 写真19 真壁駅跡 写真20 樺穂駅跡 他の駅よりも短いホームが1面だけ残されていた。 旧雨引駅は岩瀬方面からくると、最初の休憩所となる。ホームがしっかりと残っており、 構内を探索すると信号の土台らしきものも発見できた(写真21)。 旧筑波鉄道の終着駅。ここから水戸線と接続していた。廃線後、しばらくはホームと連絡橋が残されていたが、 現在では撤去され駐車場になっている(写真22)。 写真21 信号の土台跡 写真22 岩瀬駅跡 5.おわりに 今回、実際に現地調査をするにあたって、自分の身近にあった鉄道ということもあり知っていることが多いように感じていた。 しかし、実際に調査してみると見落としていたものも多くあり、意外な場所に残っているものがたくさんあることに気付いた。 また、主な駅跡は休憩所が整備されているため、サイクリングをするのには最適なものとなっている。 知っていたようで案外知らないことが多くあったので、とても新鮮な感じがした。 最後までお読みくださいましてありがとうございました。 ※参考文献 廃線研究所 筑波鉄道 http://www.ogaemon.com/haisen/tukuba-sen/tukuba.html 思い出の筑波鉄道 http://www2s.biglobe.ne.jp/~t_takaha/tsukuba/tsukuba-main.htm 筑波鉄道 http://www.tetsuhai.com/tsukuba001.htm 筑波鉄道跡・岩瀬土浦自転車道 http://explorer.road.jp/rail-road/tsukuba/
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