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〜 ぼろ電車の唄 〜

土木工学科2年 0166番 T.T

1.遭遇




写真1 鉄橋を渡る更新車


 私が祖父に連れられて初めて東武動物公園に行った時、クリーム色の電車に乗った。その後、小学生になり、遠足で行った児童館に置いてあった台車の上で遊んだ。これらの物には当時あまり関心を寄せていなかった。
 しかし、小学3年生の時にこれらの物を結び付ける重大な出来事に遭遇する。私はその日、メガネを作るために春日部に行った。駐車場で親が運転する車を降りたその時だった。私の目の前を暴走族のオートバイのような音を立てて電車が走り去った。当時、私は学習塾まで電車通学をしており、だいたい電車とはどんなものか分かっていた。しかし、どんなに頭の中を探してもあのような大きな音を立てて走る電車は見あたらなかった。

 早速、翌日学校で鉄道好きの友達に聞いてみたがそんなものは見たことがないと言われた。やはりあれは見間違いではなかったのか、確かめるためにその翌々日の日曜日に春日部駅に自転車で再び行った。 しかし、今度は待てども来なかった。一時間待って来なかったので、やはりあれは間違いであると思い、帰り道につこうとしたその時、奴はやってきた。今度は自転車だったので、速度が出る限り併走した。
 その時私が目にしたのは今まで見てきたものとは全く異なる台車だった。それは恐ろしいくらいに赤く錆びていて、巨大な金具が鉄の塊の真ん中から突き出ているというものだった。また、例の大きな音も間近で聞けた。それはやはりオートバイかクレーン車の走行音にそっくりだった。





写真2 台車


 それからほぼ1カ月に一回のペースで春日部駅に自転車で通った。何度も行くにつれ、だんだんその車両が分かってきた。まず、車体に書かれている番号が他の車両と違う、加速する時だけ音がする、野田線でしか見ることが出来ないといった事である。





写真3 カーブを曲がる更新車


2.初めての乗車

 そして、小学校生活も終わりの6年生末期、まず初めに受けた開智中学の入試会場に向かうとき、そのホームにその車両がとまっていた。乗り換え時間が無かった為、先頭に乗ることになったため、例の音は聞くことは出来なかったが、憧れの車両に乗ることが出来、最高の気分で受験に臨むことができた。初めて乗った印象としては、受験校の駅の直前にある踏切で大きく左右に揺れた事である。


3.野田線通い

 その後、春休みに入り自由な時間が出来た為、一人で野田線に乗ることにした。初めは春日部駅で待っていたが、一時間待っても来なかった為、丁度中間の七光台という駅まで行って待つことにした。そこでさらに待つこと30分、見覚えのある柔らかい光のライトが見えた。 そして乗った車内はまるで夢のようだった。今まで見たことがない床の大きな蓋、普段は穏やかなのに時々思い出したかのように激しく揺れる乗り心地、大きな音、全てが私にとって初めてだった。





写真4 車内(これは宇都宮線の5050系の物。壁の色が異なる)


4.失望

 その後、色々と本やインターネットを使って調べたところ、幼稚園時代に動物公園で乗った電車、児童館の台車がその電車と深く関わっている事が分かった。そこで、動物公園に電車を見に行くことにした。しかし、幼稚園時代からは10年もの時が過ぎており、当時とは様子が違っていた。
 車両はボロボロに朽ち果て、木が覆い被さって廃墟の様になっていた。それでも近くに行き、写真に収めた。しかし、暗かった為、半分以上の写真が何も写っていなかった。暗澹とした気分のまま、家に帰った。
(※この車両は現在、高い工事用フェンスで囲われている為、見ることは出来ない。)





写真5 東武7300系保存車(2004年撮影)





写真6 東武7300系保存車・側面(2004年撮影)





写真7 東武7300系保存車・妻面(2004年撮影)


5.東武7300系、7800系について

@概要
 東武7300型とは、戦後、屋根まで人が乗るほど買い出しの人で混雑していた状況を改善するため、運輸省から割り当てられたものである。当時の一般の車両と異なり、車体の長さが20メートルと長いのが特徴で、買い出しの混雑緩和に大いに貢献した。この車両は使い勝手が良かった為、昭和28年、増備形式となる7330型が増備された。(この車両は後に7800と改番)なお、この車両は、前面が貫通型となった以外は殆ど7300型と同じであった。
 時代は下った昭和33年、さらにマイナーチェンジとなる7870型が生産される。この改良では、木枠木枠であった窓が鉄製となり、戸袋と前面の窓がゴム支持となったくらいである。また、この車両は林間学校団体列車等で使用することを考慮してトイレが設けられていた。(しかし、これはボットン式であった為、後年撤去される)
 その後も生産は続き、先程の形からトイレを無くした7820型、日立製作所が作った屋根を鋼鉄張りにした7860型、貫通路の幅を広くし、窓枠をアルミサッシにした7870型が増備された。最終製造は昭和36年である。実に16年もの間、マイナーチェンジを繰り返しつつ同じような車両を作り続けていたのである。
 気がついてみると、お隣の営団地下鉄では昭和28年に丸の内線にスマートな300形が走り出し、東京の反対側の東京急行では昭和33年にアオガエルとあだ名されたユニークな新型車5000形が走り始めていた。東武は見事に周りから技術的に置いてきぼりにされたのである。

A量産され続けた理由
 では、何故ここまで同じ様な電車を量産し続けたのか、その答えは東武の特徴にあった。東武は日本でも有数の距離の路線網を持っており、このため、故障しても直ぐに直せるように通勤電車を同じ形式で統一する必要があった。このような理由から、7800型の後継となった8000形では実に20年に渡り製造が続けられた。
 また、運輸省から割り当てられた7300型が戦後の混乱期に作られた車両故、ガタがくるようになり(人の乗り過ぎで車体の台枠が歪んだり、劣悪な鋼材を使っていた為、修理のための溶接が出来なかった)車体の乗せ換えをする更新をしなければならず、新車開発に余力が無かったという状況も原因の一つにある。
 さらに、外向きの車両(特急、急行用と地下鉄直通用)には力を入れる性格があり、どうしても外部に出ない車両には力を入れる余力がなかったという理由もある。特に、特急型に関しては国鉄と日光争奪戦の真最中であり、10年間に3世代も車両が交代するほどの緊迫した状況であった。
 しかし、次第に旧型車特有の古臭さが目立ってくるようになる。 まず、乗客は床が木であることに驚く。次に、走り出してその走行音のうるささと板バネ特有の上下左右に揺れる乗り心地に呆れる。
 このような特徴ある電車であった為、引退直前には実に多様なあだ名がついていた。それは、床が木であることから『板張り電車』『woody』『ボロ電』、再末期には塗装がクリーム色単色であったことから、屋根の茶色、車体色、茶色の床から『カステラ電車』、走行音が牛の鳴き声のようであるから『モーモー電車』といった具合である。これほどまでに古臭さが目立ってくると流石にまずいと思ったのか昭和54年から7300型は廃車、7800型は更新という方針をとることになる。(しかし、中には更新からわずか15年しか経っていない7300型もあった。)





写真8 更新の証


 私が幼稚園時代から見てきたものはこれのうち、東武動物公園で乗ったのは東武モハ7329号の保存車、児童館にあったのは7300型の台車、そして小学生の時に足繁く見に行ったのは7800型の更新車である。これで全てが繋がったことになる。
 ここで、朗報がある。東武動物公園で保存されていた7300型の更新前の姿と同じ国鉄モハ63型がJR東海のリニア・鉄道博物館に保存されたのである。この車両は普段は外から見るだけで車内は立ち入り禁止であるが、11時の博物館ツアーに申し込めば学芸員の解説付で車内に入る事が出来る。
 また、更新後の7300型であるが、これも南越谷のステーキハウスとして現在も使用されている(これは建物が車体を覆うように建てられているため、外観は見えないが、厨房の天井に吊革受けの金具が残っている。また、裏に回れば台車を見ることができる)

 このように、東武7300の痕跡は各地に残っている。またまた、7800型に関しても更新後の車両は引退したが、現在先頭車、中間車がそれぞれ2両ずつも保存されている。このため、現在もこれらの車両に会いに行くのは容易である。


6.おわりに

 最後に、保存車では体験出来ない事…つまり音を添付ファイルに入れてある。これは、7800型の更新車の引退セレモニーで新栃木から山を登り東武日光までを走破した時の下今市〜東武日光間の走行音である。急坂をフルノッチで駆け上る所が聴きどころだ。


5050系 走行音 下今市〜東武日光





7.スペシャル
◎スペシャルT




写真9 型紙使用例


 このディスクには付録として、HOゲージの鉄道模型の型紙を添付してある。
ダウンロードは こちら

 これは、以下の作り方で製作することが出来る。なお、まゆ模型さんのHPの中に詳しい作り方が書いてあり大変参考になる。

@表面がつるつるした高級なボール紙又はケント紙にA4サイズで印刷する。

A良く切れるカッターナイフで定規を当てて窓、窓枠を切り抜く。

B紙を1対1で解いたボンドで張り合わせ、雑誌等で重しをかける。

C3ミリ×3ミリの角材を上下に木工用ボンドでつける(このとき下の角材は床板止めとなるので下から3ミリの位置につける)

D車体をゴム系ボンドG17を使って組み立てる。このボンドは直接付けると一気に出てきて悲惨なことになるので予め要らない紙に出し、それを爪楊枝ですくってつける。

E屋根板を整形する。全面のカーブに合うよう、糸鋸で余分な部分を切断する(模型用の屋根板は、まるく削り出したものが中央堂模型さん、いさみやさんで売られている。一枚450円ほどである。この電車の場合、6ミリ厚のものを使用する。これらの物が入手出来ない場合、ホームセンターなどで6ミリ×34ミリ×250ミリ以上でこの寸法に一番近いアガチス材の板を購入し、型紙にある妻面の屋根を切り取り、それをガイドにして鉋で削りだす。この時、削れても問題ない机もしくはテープなどで保護した机に普通の両面テープで固定した上で削り出すと容易である。)

F床板を3ミリ×34ミリ×24ミリに加工する。この時前面のカーブに合うようにしるしをつけた後、糸鋸でまるく切断する。

G屋根板をゴム系ボンドG17もしくは木工用ボンドで接着する。接着後は床板をはめ、車体が潰れない程度に輪ゴムで巻いておく。これは車体と屋根板の間に隙間を作らないためである。また、ゴム系ボンドの利点として、綿菓子を作る時のようにはみ出た部分が少し固まりかけたものを爪楊枝でくるくると巻き取ることができる。

H窓の上下に帯を貼る。この帯はケント紙を1ミリ(窓の上)、1.5ミリ(雨樋と窓の下)に切り出したものを貼り付ける。余力があれば、もう一枚型紙を印刷し、そこからドアの上の帯を切り出し、貼り付ける。尚、これらの接着は予め車体側に木工用ボンド又はG17を塗っておき、そこに部材を貼り付ける。木工用ボンドは伸びが良い反面、はみ出た時に掻き取るしか出来ないのに対し、G17は伸びが悪い反面、爪楊枝で簡単に取り除く事が出来る。この作業は非常に難しい為、事前に帯貼りのテストをいらない紙などで繰り返すことをお勧めする。尚、この電車の場合、前面の縦樋も1.5ミリのケント紙を貼り付ける。この時予め貼ってある窓の上下にある帯の上に貼るため、どうしても下の方に隙間が出来てしまう。ここは、同じ幅のケント紙を裏にもう1枚貼り付ける。

I接着剤が乾いた後、下地塗料となるサーフェーサを塗る。この作業はまずはうすめ液で1対1にうすめたサーフェーサを車体全体に塗っていく。これを乾かし、カミヤスリで磨く。カミヤスリは800番を使用する。

J屋根上の前照灯、通風器、パンタグラフを取り付ける。尚、この作業はピンバイス(ドリル)で穴を空け(前照灯は2ミリ、通風器は3ミリ、パンタグラフは1ミリの刃を使用)、そこに前照灯、通風器の場合は取り付け足を、 パンタグラフの場合はネジで固定する。

K車体を塗装する。スプレーはグリーンマックスから発売されているものを使用すると便利。この時、作業は風通しの良い屋外で行い、マスクを二重にかけ、長袖、ゴム手袋を着用する。車体を固定するには新聞紙を丸めて棒状にしたものを二本差して固定すると安定する。尚、スプレーは塗りたい面から20センチは離し、秒速3センチくらいのスピードで塗りたい部位を移動させて下さい。なお、一度に塗るのではなく、2、3回で塗り重ねて下さい。 また、塗り分けのマスキングテープはしっかりと貼ること。
L あとは台車を取り付けて完成である。余力があれば床下器具の取り付け、屋根の配管の取り付け、油性マジックでのゴム支持窓枠塗装を。

◎スペシャルU
 東武7300型が活躍した時代を再現したフラッシュゲームを添付する。これは、電車が景色の中を横に移動するものである。

 操作は、加速が←ボタン、減速が↓ボタン、駅に着いたらYボタンでドアを開き、Xボタンでドアを閉じる。

 なお、速度は60キロ以上出さないこと。ブレーキが非常に弱い為、止まれなくなる。駅は二駅運転できる。

ダウンロードは こちら (実行ファイル)

 
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