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〜201系について〜

社会交通工学科1年 0129番 堀 治

1.201系の概要

 201系は、1979年(昭和54年)に登場した国鉄初の電機子チョッパ制御を搭載した車両である。 標準タイプの通勤型としては、103系以来16年ぶりとなる新形式であった201系は、当時老朽化が 進み始めた101系の後継車という位置づけとともに、省エネルギー志向を強く持ったものとなった。 車体は鋼製とし、基本的な構造は従来の通勤電車を踏襲しているが、新系列であることを広く アピールするために、前面形状をインパクトのあるデザインにした。そのため、前面窓は非対称となり 耐食性に富むため黒色板でまとめられた。
 当時、国鉄では「新しいものは三鷹に入る」という慣習があり、その例に漏れずに201系も三鷹 電車区への配置から始まった。

 101系・103系置き換え用に「次世代エース」として大きな期待とともに運転が開始された201系だが、 チョッパ制御の製造コストの高さがネックとなり、国鉄という企業体を取り巻く環境の悪化にも影響を受けて、 「中央快速線」・「中央・総武緩行線」・「東海道・山陽緩行線」の3線区にのみ合計1018両集中配置 された形で製造が打ち切られた。



写真−1 中央線 東小金井駅



2.車体老朽化による置き換え

 201系は、これまでJR化直後の東中野追突事故による事故以来、一度も廃車がなかったが、 登場から25年以上が経過した2005年11月に試作車が廃車されて以来、本格的な廃車が 始まった。特に、中央快速線で使われている本系列は、長距離高速運転や日中走行する 機会が多く、累積走行キロが伸び機器などの老朽化が進んだ。そのため、2006年12月より 後継車E233系を導入し本格的な置き換えが進んだ。
 2008年3月で青梅・五日市線も含める 全ての201系を置き換える予定であったが、同線での連続立体化工事による影響で予備車が 不足することになり、一部の201系を予備車扱いとして残すことになった。2010年6月をもって 予備車2本のうち1本が廃車されたが、残る1本は10月をもって営業運転を終了する。

 また、京葉線では京浜東北線からの209系の転入により半数の車両が廃車となったが、 外房線・東金線直通用に分割可能な編成が、現在も残存している。しかし、これらも2010年 7月から運転を開始したE233系への置き換えが最終段階を迎えた頃には全車廃車となり、 これをもってJR東日本から201系は消滅するであろう。 (豊田車両センターに保留車として残されているトップナンバー1両を除く。)



写真−2 京葉線 舞浜駅



3.西日本では、まだまだ主役

 東日本では、消滅も間近である201系であるが、西日本では新系列321系による転配が 行われたものの、廃車は1両もない。東海道・山陽緩行線の運用から離脱後、西日本の 103系や113系等で行われている延命工事を実施。屋根の張上化、戸袋窓の埋め込み、 内装アコモデーションの更新、前面のフロントガラスや前照灯のガラス内収納式への変更 等が施され一風変わった表情となった。現在、「大阪環状線」、「関西本線」、「おおさか東線」 等の主力車両として活躍している。



写真−3 大阪環状線 桜ノ宮駅



参考文献

・「形式201系」 イカロス出版
・「鉄道ピクトリアル No.774」 電気車研究会
・「鉄道ピクトリアル No.796」 電気車研究会
・「鉄道ファン No.526」



 
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