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〜 185系電車 〜

電気工学科1年 0065番 菅野 幸太

1.はじめに

 今回「消えゆく車両」ということで、185系について書かせていただくことになったが、実際にはまだ185系 の置き換えは発表されていない。しかし1981年に新製が開始され、アコモデーションの改良は受けてはいる ものの、すでに登場から30年目になるため他の特急車両と比べて陳腐化は否めないところである。未だに1両の 廃車も出ておらず、いつ置き換えが発表されてもおかしくはない。そこで今回185系を取り上げることにした。


写真−1 富士山を背景に伊豆箱根鉄道駿豆線内を走る
       185系




2.185系登場の背景

 185系は、主に東海道線を中心に使用されていた、153系急行形電車の老朽取り換え目的で新製され、 特急「踊り子」として運用された。また、高崎線で主に使用されていた165系急行形電車の取り換え目的の新製、 東北新幹線の上野〜大宮間開業までの間に運転していた「新幹線リレー号」用としての運用、東北新幹線の 上野〜大宮間の開業と高崎線の新特急運転開始に伴う操配後の運用にも使用された。その用途から、185系は 他の特急形電車とは異なる特徴もある。




3.185系の新製と配置

1)153系急行形電車の老朽取り換えと急行「伊豆」の特急格上げ
 1970年代末、当時、東京口では伊豆急下田・修善寺への温泉急行用に田町電車区の153系が運用されており、 老朽化が進んでいた。西にも配置(大垣電車区)されていた153系は既に117系での置き換えが始まっていたが、 こちらはすぐに置き換えることができなかった。伊豆方面の列車はドル箱路線であるにも関わらず、老朽化した 車両が残ってしまっている格好となった。しかし、それにはいくつかの理由があった。

・当時の急行「伊豆」は15両編成で、基本編成の10両が伊豆急下田まで、付属編成の5両
 が修善寺まで運転されていた。

・需要が多いうえに波動性が大きく、特に最繁忙時期には車両のやりくりが大変で、とても
 複雑な運用が組まれていた。そのため、往路は「急行」でも復路は「普通」で帰ってくると
 いう運用もあった。

・ローカル運用の部分に113系を充てたり、その113系を捻出するために他の電車区から
 ゲタ電を借りたりしていた。


 以上のことなどから、185系の新製にあたっては様々なことが求められていたのである。

・153系の運用では「行き」と「帰り」で別々の編成と併結する場合があり、運用を分離したいが、その分の 車両を留置する場所がないため、153系との混結が可能であること。

・急行にもローカルにも使用が可能で、朝の通勤時間帯にも対応していること。

などである。


 前者については、極力、急行運用とローカル運用を分離し、ローカル運用の部分については、田町電車区に 113系を新製投入することになった。しかし、1981年(昭和56年)10月改正で185系による置き換えが完了したが、 それまでの間に過渡期が存在し、その間は153系とともに急行「伊豆」などに運用されたため、153系との併結 運用も見られた。

 後者については、デッキ付きで1車両の両側に1,000o幅の出入扉を設けた(グリーン車であるサロのみ片側)。 当時の特急車両では700o幅が主流で、485系など片側にしかドアのない車両も多かった。さらに最高速度は 153系と合わせたために110q/hとなったものの、加速度を上げるために歯車比は113系と同じにするなど、優等 列車用の車両としては異例であった。なお、当初185系は急行形として計画されていたが、途中で特急格上げと なった。

 そして1981年(昭和56年)10月改正までに、185系は0番台が10両編成8本、5両編成7本が新製され、急行 「伊豆」を格上げした特急「踊り子」の運転も開始された。ただし、この時点ではすべての特急「踊り子」が 185系で統一されていたわけではなく、改正前まで特急「あまぎ」として同じく伊豆方面に運転されていた 183系を一部の「踊り子」で限定運用していた(「あまぎ」は「踊り子」になり列車名は統一されている)。 このために、田町電車区には専用の183系が10両編成3本配置されていた(運用は2運用)。



2)新前橋電車区の165系急行形電車の置き換えと新幹線リレー号の設定
 1981年(昭和56年)12月より、新前橋電車区に在籍し、主に高崎線や上越線の急行で運用されていた165系 急行形電車の置き換えのため、185系の投入が始まった。田町電車区に投入された185系が10両編成と5両編成の 0番台なのに対し、こちらは7両編成で200番台となった。200番台は、積雪地域を走行するため耐雪ブレーキ などを装備した寒冷地仕様になっており、さらに信越本線軽井沢への乗り入れを考慮して“横軽対策”が 施されている。165系置き換え用としては7両編成9本が新製され、急行などに運用された。

 1980年(昭和55年)12月、オイルショックや用地買収の遅れから工事が大幅に遅れていた東北・上越新幹線を、 1982年(昭和57年)春に大宮まで暫定開業させることが決定した。しかしながら、上越新幹線については中山 トンネルでの異常出水事故があったことにより、予想以上に工事が遅れ、ひとまず1982年(昭和57年)6月23日に、 東北新幹線の大宮〜盛岡間を先行開業させることが決定した。この先行開業に際して、上野〜大宮間で 「新幹線リレー号」を運転することになった。本来であれば、新幹線開業によって廃止となる、東北本線の特急 から捻出される485系や583系を使用するところであるが、「新しい新幹線には新しい車両を」ということで、 185系200番台が7両編成7本新製され、先述の165系置き換え用に投入された9本と同じ新前橋電車区に配置され、 高崎線内の特急列車と新幹線リレー号とで共通運用された。なお、「新幹線リレー号」は上野〜大宮間を ノンストップ26分で結び、各新幹線列車に原則として1:1で対応し、大宮駅での乗り継ぎ時分を考慮して、 14分から20分の接続時間があった。種別を持たない一般列車ながら、新幹線乗車券を持たないと乗れないなど、 かなり特殊な列車だった。

 新幹線リレー号には、115系15両編成で運転されているものや、急行「まつしま」用の455系交直流急行形電車の 12両編成で運転されていたものがそれぞれ1本あった。その他、朝ラッシュ時間帯の下り1本のみ新幹線リレー号 の設定がなく、中電や京浜東北線の利用で対処しているなど、その設定には苦労がみられる。185系の新幹線 リレー号については、2編成連結の14両編成で運転された。編成中2両あるグリーン車は普通車扱いとされ、 お年寄りや身体の不自由な方および乳幼児を連れた婦人等の優先車(シルバーカー)としていた。



3)東北・上越新幹線大宮―上野間開業
 新幹線リレー号は1985年(昭和60年)3月14日、東北・上越新幹線が上野まで延伸したことにより、約2年半に わたり運転された新幹線リレー号は廃止され、在来線での運用にも変化が生じた。

 近郊区間の急行「ゆけむり」(上野―水上間)、「草津」(上野―万座鹿沢口間)、「はるな」 (上野―前橋間)、「わたらせ」(上野―小山間)、「つくばね」(上野―結城間)が廃止された。これに伴い、 定期券でも利用できることを謳い文句に、高崎線では新特急「谷川」・「草津」・「あかぎ」、東北線では 新特急「なすの」が近郊特急として新設され、185系による運用が始まった。後に、新幹線に愛称を譲る形で 「谷川」は「水上」に、「なすの」は「とちぎ」にそれぞれ変更されている。また、新特急の呼称は2002年 (平成14年)12月改正でなくなった。

 この改正で新幹線リレー号が廃止されたことに伴い、新前橋電車区の185系200番台7両編成4本が田町電車区に 転属となった。「踊り子」の編成両数の見直しも併せて行われ、これにより183系の10両編成で運用されていた 列車はすべて185系で運転されることとなり、「踊り子」は185系に形式統一された。余剰となった183系10両編成 3本は長野区へ転配された。
 転属した185系200番台は、サロの連結位置が6号車だったものを、10両編成に合わせて4号車に組み替えた。 側面の塗装は、1985年(昭和60年)1月から1986年(昭和61年)6月にかけての定期検査時に、0番台と同じ斜め ストライプ塗装に変更されている。


4)JR発足後の185系の動き
 1987年(昭和62年)4月1日午前0時、国鉄はJR7社へと分割民営化された。185系は全車がJR東日本に継承 されている。田町電車区には0番台が、10両編成のA編成が8本、付属の5両編成のC編成が7本、200番台が7両 編成のB編成が4本で、計143両配置、新前橋電車区には7両編成12本の計84両が配置されていた。この後は、 新特急「なすの」の新宿発着への変更などに関連して、1988年(昭和63年)3月改正で1本、1990年(平成2年) 3月改正では2本の200番台車が新前橋電車区から田町電車区に転属している。田町電車区所属車は、2004年 (平成16年)6月1日付けで田町電車区から田町車両センターに改称されたほかに、所属に関する変化はない。

 一方の新前橋電車区所属車は、2005年(平成17年)12月10日に新前橋電車区の検修部門の独立により高崎 車両センターに改称。翌2006年(平成18年)3月18日の改正で全車が大宮総合車両センター東大宮センターに 移管された。現在、田町車両センターにはA1〜A8編成、B1〜B7編成、C1〜C7編成の計164両が配置され、大宮 総合車両センター東大宮センターにはOM01〜OM09編成の計63両が配置されている。




4.新製後の主な改造など
1)リニューアル工事
 1995年(平成7年)〜1996年に新前橋電車区、1999年(平成11年)〜2002年にかけて田町電車区所属車で以下の ようなリニューアル工事が施工された。

・シートの変更
 普通車の転換式腰掛を回転式リクライニングシートに、グリーン車の腰掛をバケット式にそれぞれ取り 替えられた(田町車は1998年施工)。

・客室仕切扉スイッチの変更
 マットスイッチ式からセンサー式に変更された(田町車のみ)。

・内装材の取り替え

・車体塗色の変更

 田町車は緑色の3本の斜めストライプから緑とオレンジの湘南色をあしらったブロックパターン、新前橋車は 窓下の緑帯からモントレー色と呼ばれる上毛三山をモチーフとした黄色・グレー・赤のアクセントカラーを配した ブロックパターンにそれぞれ変更された。


2)特急「はまかいじ」号運転に際する改造工事
 1996年4月27日より土休日に運転され、現在では朝に横浜→松本間の下り列車が、夕方に松本→横浜間の上り 列車が一往復運転されている。主に横浜駅周辺からの中央東線沿線に向けた列車である特急「はまかいじ」。 この列車は田町区のB編成で運転されることになったのだが、この列車は横浜〜東神奈川間は京浜東北線を走行 するために、同線で使用されていたATC6号に車両を対応させる必要が生じた。このATC6形搭載工事は、B3〜B5 編成に1996年(平成8年)3月〜6月に施工され、これらの編成のTc車の客室最前位腰掛1列を撤去し、戸袋窓を 閉鎖した上で機器室を設置しATC6形の取り付けを行った。その後、京浜東北線のATCがD-ATC化されたが、これに 合わせこれらの編成にも対応させる工事を行っている。現在でも、「はまかいじ」号に運用されるのはB3〜B5 編成のみである。なおB編成については、1989年(平成元年)下期にパンタグラフがPS24(折りたたみ高さが 低いもの)に交換されており、中央東線の小断面トンネルは通過できるようになっている。




5.現在の運用

1)田町車
 伊豆方面への行楽波動のため、平・土・休日で運用が分かれている。平日は主に朝夜の通勤時間帯に運転される 「湘南ライナー」「おはようライナー」「ホームライナー」がメイン。対して土休日には季節臨・予定臨の 「踊り子」号が多数運転される。またB編成は新宿発着の「あかぎ」「ウィークエンドあかぎ」 「おはようとちぎ」「ホームタウンとちぎ」「ホームライナー古河」「ホームライナー鴻巣」など高崎線、 宇都宮線(東北線)での運用も目立つ。185系の特徴を生かした普通列車は、現在では東海道線の東京7:24発の 伊東行き521Mのみがあり、平・土曜日はB+C編成の12両編成、休日はA編成のみの10両編成で運転されていて、 乗り得列車としても有名である。

   
写真−2 湘南ライナーで運転される185系   写真−3 根府川駅に停車中の521M  



2)大宮車
 高崎・両毛・吾妻線の特急「水上」「草津」「あかぎ」がメインで、2編成を連結した14両編成でも運転される。 夜は「あかぎ」のほか「ホームライナー古河」「ホームライナー鴻巣」にも充当される。こちらも田町車の伊豆 方面と同様に波動があるため土休日や多客期など需要が多い日に運転される列車が設定されている。

   
写真−4 14両で運転される特急「あかぎ」号   写真−5 「水上」+「草津」の14両編成




6.おわりに
 以上、これでも非常に簡単ではあるが、185系電車について書かせていただいた。5ページ故すべてを記述 することは難しく、車両の動きを中心に書かせていただいた。首都圏で定期運用を持つ特急型車両の中では、 最も車齢が高いく大所帯と思われるのが185系であり、最初にも書いたが、本当にいつ置き換えの プレスリリースが出てもおかしくはない状況であると思う。記録をするなら、ぜひとも全編成が健在している 今のうちをお勧めしたい。また、2010年12月4日改正ではいくつかの185系の特急列車の廃止がアナウンスもされ、 「おはようとちぎ」「ホームタウンとちぎ」の廃止、「水上」の臨時化などが行われ、宇都宮線から定期の特急 列車は東武直通と北斗星を除き、なくなってしまう。185系に影響があるかは不明だが、気になるところである。




参考文献
 鉄道ダイヤ情報2008年2月号(通巻308号)
 鉄道ピクトリアル2010年9月号(通巻第838号)




 
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