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〜京成電鉄〜 3300形 1968年11月から1972年3月にかけて3301〜3350・3353〜3356の54両が製造されました。3351と3352は欠番となっています。成田方奇数車に先頭車をもち、上野寄りユニットのない3349〜3350以外は基本的に3200形同様に車両番号順に4両が基本となっています。 1次車として1968年11月に3301〜3316の16両が製造されました。3200形両扉車と外観上の差異はなく、内装の変更点として座席仕切り部にスタンションポールが付きました。また3200形の金属ばね台車と異なり、3150形以来の空気ばね台車を採用しています。 2次車は1969年12月以降に製造された3317〜3350・3353〜3356の38両で、初期赤電の3000形や3050形などとの併結を考慮して金属ばね台車に戻りました。外観上にも変化が見られ、前面上部中央と側面に種別・行先表示器が設置されたことや、客用扉は窓ガラス支持用の黒Hゴムを廃したステンレス製となった点が特徴です。 このグループは製造の都合上必ずしも車両番号順に落成せず、最初に落成したのは1969年12月の3317〜3320・3331〜3332の6両で、3331〜3332は半ユニットで落成。1970年(昭和45年)の同月には3325〜3328とともに3329〜3330が落成しました。 3351〜3352が製造時より欠番となっているため、3350〜3349は半ユニットで、コイルバネ台車使用の3000形〜3100形1次車の2両固定編成(同形更新前)と組成し4両で運用(この場合は方向幕を作動停止)、または他の3300形2次車4両編成の成田寄りに連結して6両編成で運用に入っていました。 写真5:自社線内の普通運用に就く3300形。 京成高砂−京成小岩にて 3500形 京成の通勤車では初の冷房車として、また輸送力増強、750形などの置き換え用として、1972年12月から1982年5月までに3501〜3596の96両が製造されました。車体は骨組みに普通鋼を使用し、外板をステンレス鋼とした「セミステンレス構造」(ただし、3583〜3588と3593〜3596の10両はオールステンレス構造)であり、従来の京成のイメージを一新した車両でした。 前照灯を腰部に配し、左右の窓が大型化された切妻の正面スタイルで、主回路制御方式は界磁チョッパ制御も検討されたが、乗り入れ先の都営浅草線の当時の規定から全車抵抗制御で登場しました。車両番号の付番は第1編成目が3501〜3504、第2編成目が3505〜3508で、4両を基本としています。 1972年の登場当時としては冷房装置を最初から装備していることや、ステンレス車体に配されたファイアーオレンジの帯が画期的でした。当時、3300形までの普通鋼製車体ではなくステンレス車体にしたのは、当時は押上線の荒川橋梁の強度が不足し、冷房車にするにはステンレス車体にして重量を抑える必要があったためだと言われています。その後1970年代末に荒川橋梁の強度が向上され、3300形以前の鋼製の車両も冷房化されました。 都営浅草線では、後継の3600形や京浜急行電鉄1500形が乗り入れる1987年まで、地下線内では冷房はトンネルの当時の構造や駅の空調設備が不完全であるなど、排熱防止を目的に使用不可という規定があり、冷房車で乗り入れていた3500形や京急1000形後期冷房車などは区間内、送風のみでした。 3200形(3221号車以降)・3300形までと同様に電動車は2両1ユニットで、先頭台車をモーターなしの付随台車とした方式となりました。各先頭車に電動発電機(MG)と空気圧縮機(CP)を搭載しています。 また、1996年3月からは当時の関東の私鉄では例の少ない本格的なリニューアル工事が開始され、2001年3月までの5年間で1972年12月〜1974年11月に製造された3501〜3556の56両が更新されました。主な更新内容は前面の切妻から折妻への変更、側面窓を3箇所から2箇所に変更、スカートの設置、大型種別表示機の設置、先頭車の電動車化など数多くの更新を行いました。この更新工事は当初96両全車において行う予定でしたが、予想以上に内部の腐食が進んでおり、更新工事に掛かるコストも会社側の予想を超え、車齢も考慮すると直接新型車両への置き換えに踏み切った方が得策との判断があったため、2001年3月の3546-3545ユニットを最後に更新工事は打ち切られました。 現在浅草線に直通するのは6連、8連が有る更新車のみで、4連しかない未更新車は直通しません。 写真6:押上駅に進入するエアポート快特運用の3500形更新車。 曳船−押上にて |
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