←前のページへ | 次のページへ→ |
様々な偶然に次ぐ偶然によって形成された今年一年。様々な意味で思い出のある一年となった。そんな部員達のハートには何が残ったのか。紐解いてみる事としよう。 貴方のハートには何が残りましたか? 由々しき事態が発生したと言わざるをえない。我がサークルの総会長(自称総裁)が、9月29日の定例会議(通称:例会)をすっぽかしたのである。さらに、伝達事項もろくに伝えておらず、会議とはまったくいえない状態に陥った。結果は火を見るよりもあきらかであり、尻切れトンボで終わった。 この愚行について罵声、苦情がでたのは当然であり、国会の証人喚問のごとく『説明』をしたが・・・ 「学生生活とバイト、どっちが大事だ!? ああ!?」 「最後までしっかり役職をこなせ!!」 等、逆に火に油を注ぐ結果となってしまった。どこぞの女優の謝罪会見や某プロ(?) ボクサーまでとはいかないが、しばらくこの問題は続きそうだ。 題名からして はあっ!? と思う人がいるだろう。べつにムーンライトながら号の車内でコーンポタージュをこぼしたわけでもない。ではどういう事なのだろうか? 今年の夏合宿のお話。当日は9月の中旬に入りかけた時期、外はまだ夏季に服装で大丈夫だが列車内は空調が常に作動している状態のため、自然と体が冷えてくる。つまり、冷えた体を温めるために会員の一人がコーンポタージュを自販機から買ってきたのだ。あまりのうまそうなにおいがあたりに漂い、たった一つで車内に充満したのだ。このにおいに反応したのは会員だけだったがものすごくうまそうだったのだ。その結果、ムーンライトながらで夏合宿の開催地に向かっていたその他の会員たちは全員、車外でコーンポタージュを飲むことになった。 夏合宿のメインイベント・広電車庫見学も終わり、広島から岡山まで移動してきたサークルの面々。実質車庫見学が終われば、現地解散的な状態のため岡山に泊まらず、そのまま帰宅する会員もいる。夕食も終わり、寝台特急に乗って帰る人をホームで見送った後、せっかくだからということで、新幹線の終電を見送り、さらに津山線と吉備線の終電を見送った後、岡山駅の入場券をもらおうと無効印を押してもらうと窓口に行くと・・・・ いきなり、食って掛かる言葉が出てきた。単に夜の謎の集団が気になったのか? でも、津山線の運転手は人柄がすごくよかった。人間の質が下がり気味の世の中においてあのような人は貴重だな。 9月12日の夏合宿からの帰り道、何を思ったのかK氏は不思議な経路をたどったらしい。いわく… 広島―呉線→三原―山陽本線→岡山―津山線→津山―姫新線→姫路―山陽線・東海道線→尼崎 というマニアックというかなんというか、奇妙な経路で帰ったというのだ。どこへ行くにも各駅停車かA寝台にしか乗らないというK氏らしいが、はっきり言って呆れたの一言である。本人いわく、「あと1日遅ければ急行きたぐにで帰ってくるつもりだった」らしい。 103系という車両をご存知だろうか?かつては、あの山手線や総武・中央各駅停車、京浜東北線を走っていた車両である。オレンジ、黄色、水色、黄緑色、エメラルドグリーンのいずれかの一つの色で塗装された車両はまさにバブル時代の車両の代表といえるだろう。 ところが、高度経済成長期が終焉を迎えるとともに、各路線に新型車両が現れ、103系は西や北においやられ、さらには即廃車という運命を迎えてしまうものも存在した。そして、2006年3月17日を持って東日本からは完全引退になってしまった。 しかし、仙石線に103系が突如復活!! 理由については色々な説飛び交うが、予備車として放置されていたものが、改造工事をうけて再び走り出したのだ。 ちなみに2007年3月に開催された仙台・春合宿は、その103系が試運転を行う日と重なっていたのだ。 カンのいい人ならば、ここでピン!とくるはずだ。この話を黙って見過ごすわけがない。もちろん、我がサークル会員が仙石線に入り浸ることはあきらかであった。電車に乗り込み、車庫に停泊しているのかを確認することはもちろん、見晴らしのいい駅で列車が来るのを待つのはあたりまえであった。 ![]() |
次のページへ→ |