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 電車の場合、基本的に編成単位で入場する。工場に入場した車両は写真2の仮台車に履きかえ、各種修繕を行う。見学日には出場に備え、クハ120-16の台車を本来のものに戻す作業を行っていた。もう一方の先頭車であるクモハ121-16はすでに本来の台車であるDT33A台車(写真3)を履いていた。このように全般検査を受けた際には台車や床下機器も塗装し直され、美しい姿となって出場する。DT33A台車は103系電車のDT33台車を改良したもので、一方のクハ120形には、101系電車の部品を流用したDT21Tが使われている。
 全般検査を受けると、車体連結面(妻面という)に検査表記が書かれる。写真4の「18-3 多度津工」は、平成18(2006)年3月に全般検査を終えたことを示している。その左に小さく「14-10 多度津工」と書かれているが、これは平成14(2002)年10月に重要部検査を終えたことを示している。その他妻面には車両形式、自重、換算重量(自重を貨車1両に換算した場合の単位)が書かれている。これはホーム上でも連結面を覗けば見られるので、その車両がいつ検査を受けたかがすぐにわかる。
 他にも普段は見られない部分を見ることができた。写真5は連結面下部の様子である。写真中央の連結器は密着連結器と呼ばれ、主に電車に使われているものである。写真奥には台車が見えるが、そこには電車の心臓部ともいえるモーターが収納されているのがわかる(矢印で示した部分)。モーターの形式はMT55Aで、これも103系電車と同型のものである。

※101系電車
 1957年に登場した国鉄の通勤型電車。特に技術面においてそれまでの電車とは一線を画するさまざまな新機軸が採用され、今日の電車王国の礎となった車両。後継車両の登場により、JR創始期までにほとんどが姿を消し、近年まで首都圏の南武支線で細々と活躍していたが、全車廃車された。なお秩父鉄道に譲渡された車両も存在し、こちらは現在も活躍中である。

※103系電車
 101系電車を改良し、1963年に登場した通勤型電車。以後約20年間にわたって3400両余が製造され、国鉄最大両数を誇った電車。全国の国鉄通勤路線のほぼ全線に進攻し、通勤通学輸送に大活躍した。JR化後は後継車両の登場により急速に数を減らし、2006年3月には常磐線での運転を最後に首都圏から引退した。西日本地区や九州では現在も活躍中。


3.1.2 2000系気動車

 2000系気動車は、四国の特急列車の高速化による競争力強化を目的として1989年に登場した車両である。同系に搭載されている制御付き振り子機構はJR四国とJR鉄道総研の共同開発によるもので、曲線での大幅なスピードアップを実現した。日本初の制御付き振り子車両であると同時に、世界初の振り子式気動車でもあることが高く評価され、日本機械工学会賞を受賞した。
 試作車「TSE(Trans Shikoku Experimental)」(写真6)による試験や臨時列車での試用の後、1990年に量産車の製造が開始され、さらに1997年からはエンジン出力の強化やブレーキの改良を施し、最高速度130km/h運転が可能なN2000系(写真7)と呼ばれるグループも登場した。現在JR四国の気動車特急の主力として活躍中で、第3セクター土佐くろしお鉄道に在籍する車両もある。



写真6  2006.2.28 松山




写真7  2006.2.28 多度津工場




写真8  2006.2.28 多度津工場




写真9  2006.2.28 多度津工場




写真10  2006.2.28 多度津工場


 写真8はS-DT61台車で、台車上部(矢印で示した部分)には空気ばねが装着されており、車体のゆれを和らげるとともに、曲線通過時における台車枠の回転をばねのねじれで吸収している。従来のまくらがなくなったため構造が簡単で、このような台車をボルスタレス台車と呼ぶ。
 通常、列車がカーブを曲がる際には遠心力により車体が外側に押し出されるような形になり、カーブではスピードを出すことができない。振り子式車両とは、カーブで車両を内側に傾けるようにして力を打ち消し、より高速でかつ乗り心地を損なうことなくカーブを曲がることができる車両のことである。制御付き振り子機構ではさらに、走行する線路の情報を車両側に記憶させておき、それをもとに曲線進入前から徐々に車体を傾斜させる機能を持つ。振り子式車両では振り子機構を搭載するために通常の車両とは台車の構造が異なり、写真8の空気ばねの下にある部分が左右に動作することにより車体が傾斜する。写真9は修繕のため振り子機構や車輪を外し、枠だけになった状態のものである。
 写真10はN2000系2400形の連結器周辺の様子である。同系では気動車ながら密着連結器が採用されており、写真5の121系電車のものと比べてもほぼ同じものであることがわかる。左にある灰色に塗装された機器(矢印で示す)は汚物処理装置で、列車内のトイレにおいて汚物の洗浄に使われる水を再処理し、循環して使用するシステムになっている。


3.1.3 キハ40系気動車

 キハ40系気動車は国鉄が開発した一般形気動車で、1977年から1982年にかけて888両が製造された。国鉄分割民営化の際には旅客鉄道6社全社に分散して継承され、以後大きく両数を減らすことなく現在も全国で活躍中である。JR化後は各線区の事情に合わせた改造工事が盛んに行われ、実に多彩なグループを形成している。
 写真11は出場前のキハ47 505である。この車両は両開き扉を2ヶ所設け、片側に運転台があるタイプである。もともと寒地で使用され、空気ばね台車であるDT44を使用している(写真12)。同じ空気ばね台車でも、写真8の2000系気動車の台車と比べると違いが多いのがわかる。



写真11  2006.2.28 多度津工場




写真12  2006.2.28 多度津工場





 
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