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↑三厩駅


 三厩駅直前まで海沿いを走っていた津軽線は、最後に左へカーブして山方向に向いて終点となっている。明治期の計画ではここから五所川原方面へ伸ばすようになっていたそうだが、この線形はそのためであろうか。数少ない列車であるためか、結構な人数が降りた。駅の周りは多少民家がある程度である。すぐに折り返して、蟹田まで戻った。
 蟹田から、北海道で唯一乗り残している江差線を乗り潰すために再び海峡線を行く。持っている切符が普通列車限定なので、普通列車の無い蟹田−木古内間は特例を利用して特急列車に乗車する。人生4度目の青函トンネルである。
 木古内から江差線を往復乗車し、この時点でJR北海道全線走破となった。後で分かった事だが、JR北海道は江差線の非電化区間については廃止の意向なのだそうだ。たしかに、江差線沿線にはほとんど何も無かった気がする。北海道新幹線の新函館までの区間に認可が下りた が、廃止時期としてはその開業時か、それより前になるかもしれない。とにかく乗っておいて良かった。
 木古内から海峡線・津軽線を戻り、青森まで戻った。その青森駅で、なんと今朝会った年配の女性と再び出会った。同じ列車に乗っていたようである。女性は葬式とその後の用事を終えて帰ってきたようである。不思議な感覚だった。たしかによくよく考えてみればもう夕方であるし、一日の用事を終えて帰ってきていても不思議ではない。とても長い距離を乗ってきた事もあるが、それ以上に海峡線の特例を使うと蟹田で降りなければならず、更に特急と普通列車の接続が悪いので相当な時間待たなければならない。その事が時間の感覚を狂わしたようだ。決して便利な特例とは言えず、不便にする事で通しで特急に乗ってもらおうというJRの意向が見え隠れする。
 さて、この日は更に大湊線の乗り潰しが残っていた。青森から大湊線方面には直通の快速が走っているのだが、ちょうど時間が合わなかったので東北本線の普通電車で野辺地まで行く。意外にもこの旅行では初めてこの区間を乗った。
 野辺地で大湊線の気動車に乗り換え、大湊へと向かう。辺りはすっかり暗くなっており、車窓には期待できない。古い気動車なのに随分スピードを出してるなと思ったが、この路線、海沿いで線形が良いため全国のローカル線の中でも列車の表定速度で上位なのだそうだ。下北で廃止になった下北交通の跡を右に見て、終点の大湊に到着した。
 恐山の雄大な姿が目の前に広がるはずだが、残念ながら夜なのでわずかに山頂付近と思われる場所の鉄塔の光が見えるくらいである。機会があればまた来たい。夕食を調達し、折り返して青森へ戻った。
 宿泊はなるべく安い方が良いと思って探したところ、駅前にカプセルホテルがあったのでそこに泊まった。カプセルホテルは初めてである。印象としては寝台列車で言う開放式B寝台と言ったところだろうか。もっともあちらは6300円と極端に高いが、こちらは2000円弱とリーズナブルだったが。北海道と違って夜行列車で一晩過ごすという事が不可能なので、以後旅行中は毎日宿となるものを探す事になった。



 
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