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山手線へのE231系導入に伴って205系は山手線を去り他の通勤路線への転出を開始 した。山手線運用を離脱した205系のうち、6扉車(サハ204)が川越電車区へ転出して 順次埼京線用205系10連に組み込まれた。ただし山手線とは異なり、6扉車を組み込む 際に4扉車(サハ205)を抜き、組み込み後も10連を維持することとした。 2001年4月1日の時点で、山手電車区(現東京総合車両センター)には205系11連が52 本と6扉車(サハ204)のバラが1両、計573両が在籍していた。このうち、6扉車のバラ1 両(サハ204-902)が2001年6月30日付で川越電車区へ転属、[8]の2号車に組み込まれ た。続いて山手線用E231系が運転を開始したのに伴い運用を離脱したサハ204-11が 2002年6月6日付で川越電車区へ転属、同じく[8]の3号車に組み込まれた。これによっ てサハ205-160・161が編成から外され、サハ205-160が宮城野電車区(現在は統合のう え仙台車両センターと改称)へ、サハ205-161が中原電車区へ転出した。これら2両は 改造工事を実施して現在は先頭車になっている。こうして6扉車を2両組み込んだ TcMM'MM'MM'T'T'Tc'の[8]ができあがった。
2004年以降も引き続き転用が行われたが、転属日がまだ明らかになっていないので 2004年9月末までの動きについて簡単に概要を述べることとする。 まずこれまでと同様従来の編成に6扉車を組み込む作業が行われ、[20]にサハ204-5 ・10、[21]にサハ204-9・43、[22]にサハ204-37・45、[23]にサハ204-12・40、[24] にサハ204-41・47が組み込まれ、10両のサハ205が編成から外された。このうち、サ ハ205-216・217が武蔵野線へ転出したが、そのほかの8両については不明。 さらに、元山手線用の11連(モハ204-160〜162、モハ205-160〜162、クハ204-54、 クハ205-54、サハ204-37、サハ205-107・108)が転入、このうちサハ204-37を前述の [22]に組み込み、残りの10両には6扉車の組み込みは行わずそのまま10連1本([32])を 組成した。これにより、川越電車区の205系10連32本になった。 なお205系の転属やそれに伴う改造工事は今後も進行するので、現状と多少差異が あると思うがその点はご了承いただきたい。 4.おわりに 現在、川越電車区では山手線205系の転入の真っ最中で、今後も埼京線用10連への6 扉車組み込みや、川越・八高線103系4連の置き換えが進む。埼京線205系10連につい ては、全編成には6扉車は組み込まれず、転用完了後も4扉車のみの10連が残るよう だ。 つい4年ほど前までは埼京線に6扉車など組み込まれておらず、すべて4扉車で構成 された205系10連が走っていたのが、現在では半数以上の編成に6扉車が2両組み込ま れているのを見ると、ここ最近の変化に驚かずにはいられない。近い将来103系は姿 を消し、205系以降の新型電車に統一され、新たな時代の幕が開かれる。今後埼京 線、川越線、そして八高線がさらに発展することを期待したい。 なお205系転用などについて本稿中に誤記等があれば、ご指摘いただければ幸いで ある。 参考文献 「鉄道ファン」(交友社) 特集『JR車両ファイル』(1996年7月号) 特集『4扉通勤電車の軌跡』(1998年5月号) 特集『JR車両ファイル2001』(2001年8月号) 特集『JR車両ファイル2002』(2002年8月号) 特集『JR車両ファイル2003』(2003年7月号) 特集『JR車両ファイル2004』(2004年7月号) 『こちら首都圏205系情報局』(2002年8月号〜2004年10月号) 「最新版 JR・私鉄カタログ」(講談社) |
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