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社会交通1年 岩田 陽一 |
京浜東北線は1917年から東京〜高島町(現在の桜木町)間を結ぶ京浜電車として運転を始めたのが起源である。また、1926年には赤羽延長、戦後には大宮まで延長し、現在の運転区間となった。 意外と知られていないのが、「京浜東北線」という線は正式には実在しないことだろう。つまり、「京浜東北線」は宇都宮線(上野〜黒磯)JR京都線(京都〜大阪)と同じ「通称」である。京浜東北線は大宮〜東京間が東北本線、東京〜横浜間が東海道本線、横浜〜大宮間が根岸線である。 ![]() 写真は209系 今回は103系以降の京浜東北線の車両について調べてみた。103系より前については今回は割愛する。 ![]() ![]() 103系は101系を山手線用に低速域での性能の向上、オール電動車で失敗した101系の実績を踏まえ、MT比を小さくした系列である。 性能は101系に準じており、当時としてはなかなかであった。 また、昭和38年から59年まで新製が続き、合計3500両に達する勢いであった。日本でこれだけ同じ系列が作られたのは103系だけではないだろうか。(E231系が103系と同じ勢いで作られてはいるが) 京浜東北線には昭和40年から導入が開始され、現在でも最大の特徴であるスカイブルーの電車が誕生した。 その後、103系は平成元年に205系が導入されるまで京浜東北線を独占し、平成10年に京浜東北線から撤退した。その間なんと33年間も103系は活躍していたのです。 ![]() ![]() 205系は201系をさらに経済的に製造するために造られた。 制御には界磁添加励下方式を採用し、車体はステンレス、回生ブレーキ付きという経済的な車両となった。 この車両も103系と同じく各地方、各線に配属され活躍している。 最近では山手線から鶴見線、仙石線に転属が進んでおり、その動向に注目が集まっている。 京浜東北線では平成元年から導入が開始され、一時は103系を置き換えるのではないかとも言われていた。しかし、その期待とは裏腹に、最初に投入された4編成、翌年に投入した2編成以外に投入されることはなかった。さらに、平成5年には209系が導入され、3編成が転属、平成7年には埼京線の恵比寿延長により残る3編成が転属し、平成8年に京浜東北線から姿を消した。 ただ、姿を消したとはいえ、桜木町・磯子(一部大船・逗子)まで乗り入れてくる横浜線は205系が主力なので、正確に言えばまだ姿は見ることができる。(さすがに帯の色は違うが) |
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