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 さて、富良野線ノロッコ号の旅である。発車した時点では、指定席は私一人であった。車掌がとてもノリが良い方で、案内役のお姉さんと3人で仲良くお喋りしていた。車掌は制服も着ていなかったので、言われないとわからないくらいだった。富良野を出て間もない辺りで、左50mくらいを並行する道路でノロッコ号と競争している自転車を車掌が見つけて、話に花が咲いた。その人はかなり頑張っているようだった。この日はまたまた快晴で、ラベンダー畑は季節が外れていたものの、右手には雄大な十勝岳を望む事ができた。こんなに綺麗に見られるのは本当に珍しいらしい。今回の旅行は幸運の連続だ。上富良野では名物のソフトクリームを食べた。そして、富良野と並んで観光地として有名な美瑛に到着。ここで、ノロッコの旅はおしまいである。記念撮影をして、次の旭川行きの列車に乗り換えた。
 富良野線の残りの部分を旭川に向かって下っていった。そういえば根室本線の富良野−滝川が開通する前は、ここが札幌と道東を結ぶ幹線だった事もある。随分と古い話である。富良野線を走破し、旭川着。旭川駅の富良野線ホームは、函館本線や宗谷本線のと随分離れていた。明るいうちに来たのは初めてである。折り返し、富良野線を富良野まで戻った。  富良野駅前には、「ドラマ・北の国から」のロケ地という看板が立っていた。今度は根室本線の残りの部分に乗車する。が、既に1駅分は乗っている。その曰く付きの島ノ下駅を通り、芦別を経由して、終点の滝川に着いた。根室本線走破。辺りはすっかり暗くなっていた。
 滝川の町は死んだように静かだった。駅前のスーパーも閉まっているし、商店街のシャッターも大半が閉まっている。時間が遅いというのももちろんあるとは思うが、やはりこういう光景を目の当たりにすると、駅前空洞化という言葉が脳裏に浮かんでくる。きっと滝川も郊外の国道沿いは賑やかなのではないだろうか。やっとのことで定食屋を見つけて、そこで夕食をとった。
 宿代を浮かすために上川まで行って夜行で札幌に帰る予定だったので、旭川行きのスーパーホワイトアローに乗車。JR北海道で数少ない電車特急の一つで、俊足な事で有名である。初乗車だが、噂通り速かった。また、uシートも初めてだったが、特急のグリーン車と同様コンセントが付いていたので、非常に助かった。深川−旭川間で長いトンネルがたくさんあった事に驚きつつ、昼間にも来た旭川に着いた。
 この時間、もう石北本線に特急列車は走っていないので、普通列車で上川へ。これ以上先へはもう行けないので、上川から夜行オホーツクで折り返す事にした。
 上川は、市か何かと思っていたのだが、町だった。ちゃんと調べていけば良かった。かろうじてコンビニらしき店があったので、そこで食料などを調達。その店も23時には閉めるようだったし、銭湯も閉まっていた。どうしようもないので駅で時間を潰す事にした。同じくオホーツクを待っているのだろうと思われる年配の方が一人待合室に居た。何時間待っただろうか、ようやくオホーツクの到着時刻になったので、ホームの方の待合室に移動した。ここは覚えている。上り下りの夜行オホーツクがすれ違うはずである。さすがに3回目ともなると、そういう事まで覚えているものである。既に、下りのオホーツクは到着していた。我らが上りオホーツクは、この後到着するはずである。だが、いくら待ってもやって来ない。そのうち、なんと下りオホーツクが発車してしまった。どういう事だろう…不安がよぎる。と、その時、放送が流れた。「オホーツク10号ですが、少々遅れております」。そしてその直後、「オホーツク10号ですが、現在2時間遅れで運転しております...」。
2時間が少々かよ、北海道っていったい…。素直な感想だった。横に居たおじいさんと共に絶句していた。しかも普通、○○のためとか理由を言うだろう。それからちょうど2時間後に列車はやってきた。空はもう薄明かりになっていた。 とにかく疲れていたので、荷物整理して、すぐに寝た。朝、車掌に起こされた。もう札幌駅に着いていた。
 
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