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〜 みんな大好き!115系 〜

社会交通工学科2年 1151番 吉江 和洋





写真1 湘南色と横須賀色の115系の並び!


 「平成の奇跡」ともいうべきこの並びは2012年8月末に大宮駅のホームからみることができた。どちらも検査明けでピカピカなのも重要だ。



はじめに

 タイトルからあるように、115系についてまとめることにした。昨年のE127系に続いて筆者にとっては地元の車両となる。しかしながらE127系とは異なり、115系は日本の広い範囲でその姿を見ることができる国鉄型車両である。そして、まさに「今」115系はその活躍の場が狭まりつつある。当たり前となっていた115系を見直し、再評価するちょうどいい機会ではないか、ということで今回はこの車両を選んだ。しかし、ただ115系についての構造的詳細を書いてもつまらないことは目に見えている上に膨大な文面になり色々と大変に・・・というより筆者はそんなに詳しくない、ということで車両の説明は最小限にしてJR東日本の115系の現在の状況とその魅力を紐解いていこうと思う。そして、115系の今後についても少々触れてみようと思う。



1.115系とは?

 ここでは115系の大まかな仕様について触れてみよう。


1-1.115系登場の背景

 まず、115系は「近郊型電車」という種類に属する車両であるが、その原点にあたるのが戦前の1935年に登場し、中央線や京阪神で使用されたモハ51形電車である。これはデッキの無い3ドアのクロスシート車である。乗降時間の確保と長距離向けの両立ができ、戦後のモハ70系に引き継がれた。その後、常磐・鹿児島本線といった交流電化の長距離路線が出てくると1969年、その線区に401・421系が新製導入された。これらの車内は3つドアクロスシートの装備となり、これの直流版ともいえる111系がその2年後に登場している。この時に「近郊型」が確立されたといっても過言ではないだろう。そして、その翌年である1963年に115系が登場し、東北・高崎線向けに登場した。


1-2.115系の特徴

 外観上で115系を特徴づけるのは屋根上の通風器形状の違いである。111系まではグローブ形だったが、115系は165系などと同じ押し込み式となった。また、寒冷地での車内保温のために「半自動扉」が装備されている。また、走行設備として「抑速ブレーキ」が搭載されているのも特徴である。111系の走行範囲であった平坦地に加え寒冷地・山地にも対応していることから非常に汎用される車両となった。一方でオリジナルの0番台から増備するにつれてマイナーチェンジが進められ、様々な仕様の115系が登場した。JR化後もリニューアル工事や改造を施された車両も多く在籍している。そして、JR化後は「地域色」も登場し、津々浦々カラフルな大所帯となったのも挙げられる。
 153系から始まる「東海型の顔」で初代のデビューから全国を40年以上も走り続けている。まさに「みんな大好き」と形容できるのではないだろうか。



2.JR東日本の115系の現状と運用範囲

《2012年9月現在の115系》

 全国各地で活躍してきた115系だが、今、JR東日本において廃車と置き換えが進んでいる。そこで現在の115系を所属車両区に従ってまとめてみることにした。北から順に紹介する。


2-1.新潟車両センター(新ニイ)

 本格的に導入されたのは1976年からで、首都圏の115系0番台を用いて70系を置き換えた。非冷房車で雪国新潟のため、耐寒耐雪構造を強化して導入したが、後に耐寒耐雪構造を強化した1000番台を導入、70系の他、それまで活躍していた0番台も置き換えて岡山へ転属させ、新潟地区は1000番台で統一された。しかし、1984年の弥彦線電化開業に伴う車両増備は財政上厳しく、岡山や身延線用車両での先頭車化改造による車両捻出を用いて導入するに至った。
 現在、新潟車両センターには基本的な3両編成であるN編成、4両編成のL編成、2両編成のS編成、そして弥彦線用のY編成と訓練車が在籍しておりバラエティ豊かである。登場時は湘南色で、JR化前には白地に赤と青の帯を巻いた独特の塗装もあったが、その後白地に緑の濃淡の帯を捲く現在の塗装になった。以後登場するE127系もこの配色を受け継いでいるほか、新津所属のキハ40系列に旧塗装が残る。また、N編成のうちリニューアル工事を施した編成については青の濃淡の帯を配した「新」新潟色となっている。
 一方で「変り種」が多いのも特徴で、今では貴重な115系0番台が残っており、L編成のMM`ユニットに6ユニット組み込まれている。S編成のうち、6編成が0番台を先頭車化改造させて生まれた500番台で、さらにこのうちの3編成が弥彦線用のY編成となっており、ワンマン装置を取り付けている。塗装が黄色を基調にしているのも特徴である。この500番台の仲間に訓練車があり、こちらは湘南色に訓練車の「証」となる白帯と文字が入る。
 新潟に所属している車両は、それでも1000番台が大多数を占めているが、その中には先頭車化改造で生まれたクハ115-1500番台とクハ115-1600番台が存在し、特に後者はクハ115-1601のみの唯一無二となっている。リニューアル工事車はパンタグラフがシングルアームに変更されている編成が大半になっている。さらに身延線や広島から来た2000番台も存在し、こちらは短編成化のために余剰になったクハ115-2100のみで他番台と混結されている。また、L編成の中にはパンタグラフを2基搭載した編成が4本あり、冬場には霜取りのための限定運用に就く。
 運用範囲は上越線の水上〜宮内間、越後線・弥彦線・白新線全線と信越線の妙高高原〜新潟、羽越線新津〜村上と広範囲でE127系が導入されてからも新潟地区の主役である。L編成は上越線に於いては越後中里までしか入らず、「国境越え」はしない。その他、2連+3連や3連+4連という組み合わせも日常的に見られる。
 ちなみに、新潟地区の電車は長野総合車両センターで検査を行うため、工場入出場の折には普段は走行しない信越線長野まで走行する。この他、毎年開催される諏訪湖上花火大会における列車大増発で信越線の列車の代走に入ることもある。
 なお、2011年にはN・L編成1本ずつが湘南色に戻され、定期運用に就いている。




写真2 「新」新潟色のN24編成 2010.3.14@直江津







写真3 新潟色のL4(左)とS9(右)編成
2009.3.29@新潟

写真4 弥彦線用のY1編成
2011.5.4@弥彦



2-2.高崎車両センター(高タカ)

 様々な地域色となった115系の中で、唯一全車両「湘南色」のままでいるのが高崎車である。ここでは3両編成と4両編成が所属しており、4両編成のうち2本がサハ115を連結した変則的な編成である。運用を持つ線区は信越本線高崎〜横川、上越線の水上まで、両毛線・吾妻線全線である。この他、検査は大宮工場で行うため、高崎線を走行することはあっても稀である。運用は3+3編成や4+3編成があり、高崎地区のラッシュに対応している。
 2012年7月には珍しく青梅線奥多摩までの多客臨時列車として首都圏を走行したが、運転士の運転ミスにより青梅線内での車両故障を頻発したのは記憶に新しいことである(苦笑)。




写真5 4両編成のT1146編成 2012.9.16@横川
 高崎車はモハの車番から編成番号を採っている。
 2012年9月現在、群馬DCの一環として、HM搭載車が運用に入っている。



2-3.豊田車両センター(八トタ)

 中央本線の旧型国電置き換え用として導入されて以降、今でも115系の活躍場となっている中央線を担当する横須賀色3両編成12本が所属する。300(M12編成のみクハ115-400)番台で構成され、中央本線の立川〜小淵沢間で活躍している。基本的には2本つなげた6両編成での運用だが、区間列車や一部閑散期の列車は3両単独となる。唯一6両貫通で残るM40編成は霜取りパンタ搭載・サハ115連結の異彩を放つ編成で、快速「むさしの」で使われたが2010年12月3日で「快速むさしの」の運転は終了となり、定期運用から外れている。現在は団体列車や諏訪湖花火臨の応援、ハンドル訓練と思われる試運転程度の走行となっている。
 近年はJR東日本長野支社のイベントで中央線をはじめ、久々に篠ノ井線や大糸線にも入線を果たしている。
 モケットは紺・グレーを基調としていて、全車シングルアームパンタとLED列車番号表示器を装備している。
 これとは別に訓練車として4両編成1本が在籍している。こちらは低屋根のモハ114-800・シールドビーム化改造など、これまた特徴多き編成である。小山車両センターの訓練車亡きあとは宇都宮線系統の訓練に毎回貸出される。




写真6 M5+M3編成
2011.7.10@梁川〜鳥沢間

写真7 小山貸出のため回送される
2012.3.2@大宮



2-4.長野車両センター(長ナノ)

 それまで用いられていた旧型国電や客車列車を置き換える目的で長野地区にも登場した。最初から1000番台として増備された編成が今でも活躍している他、小山からの転属車や改造車など、細かく見ていくと多彩な顔ぶれであるのも特徴である。
 C編成は6両編成を組み、主に中央本線系統の運用をもち、松本〜高尾・立川などの長距離運用も受け持つ、MM´ユニットの基本的な編成である。また、C編成には300・400・1000番台の各番台があり、耐寒・耐雪構造でない300・400番台は小山電車区からの転属編成である。トイレ設置車も2両連結の場合もある。元中間車から改造もあり小さな差異がある。なお、クモハ・サハ組み込みの元B編成は伊豆急行へ譲渡されたが、こちらは早々廃車となってしまった。元々スカ色であったが、順次長野色に塗装変更され、松本運転所(現松本電車区)配置だった。2007年から長野総合車両センター所属となった。しかしながら、長野に入る運用は1日1往復だけで貴重である。
 一方、N編成は1000番台で構成され、クハ+モハ+クモハの3両編成を基本としている。登場時は湘南色であったが、JR化後に白地に緑・茶色の帯の信州色に塗り替えられた。さらに長野五輪に合わせて現在の長野色になった。また、現在18本が車内のリニューアル工事を完了している。
 現在では全編成のシングルアームパンタ化が行われている。長野と松本の配置であったが、現在は長野総合車両センターに集中配置となった。元長モト車は編成札がピンク色になっており、N15編成が訓練車となっている。運用範囲は篠ノ井線全線、大糸線の信濃大町以南、中央本線の甲府〜中津川間、飯田線の飯田、信越本線長野〜柿崎、しなの鉄道乗り入れと幅広い。
 また、先頭車化改造により2両編成のN50台の編成も在籍する。こちらは中央線塩尻(松本発着)〜辰野間の区間列車や朝夕の3+2両編成での運用、そして大糸線での2+2両での運用をもつ。このうちN55編成のみ廃車になっている。
 1000番台の若番が多く存在しており、3両ともトップナンバーのN25編成も組替されずに残っている。




写真8 C14編成
2010.6.5@新府

写真9 N12編成
2008.8.12@平田〜南松本間







写真10 N58編成
2012.8.15@松本

写真11 N15編成(訓練車)
2010.2.9@松本





 
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