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秋田のローカル線

〜 男鹿線(男鹿なまはげライン) 〜

社会交通工学科2年 1147番 山根 佑太




0. 男鹿線について

 船川港と奥羽本線とを鉄道で結ぶことを目的に「船川軽便線」として建設された。しかし、貨物輸送という当初の目的は徐々に薄れ、男鹿半島が観光地として注目され始めた昭和43年に「男鹿線」に改称される。その後、秋田市の近郊区間ということで沿線の宅地造成が進み、列車もすべて秋田駅まで乗り入れるようになり、今では秋田市の通勤通学路線へと変貌を遂げている。しかしその一方で貨物輸送は減少の一途をたどり、平成14年をもって貨物扱いは廃止となり、男鹿〜船川港間の線路も現在は撤去されている。また、秋田市の近郊路線としては近代化が遅れており、平成3年3月に タブレットからCTC制御となったとはいえ非電化単線は変わらず、車両も国鉄時代のものを使用している。路線は追分で奥羽本線と分離し男鹿半島の南端を日本海に沿って進んでいくが、沿線は住宅と防風林が視界を遮っており、五能線のように車窓に日本海が広がるような光景は無いが、船越〜羽立間では車窓右手に寒風山が望む。

表1 路線概要


表2 路線沿革




1. 男鹿線を走る、走った名?列車達

・キハ40系列 1122D
 現在の男鹿線を走行する全列車を担当。車両は秋田車両センター所属のキハ40 500 キハ48 500 1500番キハ40 2000番台が使用されている。各車はそれぞれワンマン運転に対応するため、客室デッキや乗務員室ドアの撤去、運賃表・運賃箱・整理券発行機の設置等の改造が行われている。また一部車両はロングシート化改造がされている。運行は全列車普通で、朝の時間帯を走る1122Dは6連での運行となっている(2009年までは7連での運用だった)。現在の塗装は白を基調とした車体に緑のラインが入るものとなっており、車体側面には、なまはげが描かれた装飾がなされている。



写真1 男鹿線車両



2. 朱色からの転身

・50系客車 1122レ
 キハと共に男鹿線を支えた50系客車。東北、秋田地区に大量に配備され男鹿線でも活躍していた。男鹿 線では朝夕の通勤通学輸送としてDD51牽引の50系客車列車が2往復あり、そのうち1122レは8両編成での運転で、車内は学生や通勤客でいっぱいだったという。この8両編成は男鹿駅のホーム一杯の長さであり、機関車のDD51はホームからはみ出ていたという。1993年12月に奥羽本線の普通客車列車が全廃後も辛うじて存続したが、余剰気動車の進出などにより1994年12月に消滅している。



写真2 50系客車列車



3. 急行 おが

 秋田と上野を結んでいた夜行急行のおがだが1980年頃には、男鹿線に乗り入れ、男鹿まで快速運転を行っていた。
しかし機関車牽引の客車列車、また単線での行き違いの関係から所要時間は普通列車よりもかかってしまっていた。



写真3 急行おが



4. 男鹿線内貨物列車

原油輸送・硫酸輸送


 脇本は申川油田から産出された原油と、小坂精練からの濃硫酸輸送のため、男鹿線内にはタキによる貨物輸送が行われていた。牽引機はDD51でタキ9900タキ3000 タキ35000といった貨物を時には重連で引いていた。1999年に小坂精練からの硫酸輸送は発着駅変更により、2001年に原油輸送をタンクローリーに引き渡す形で廃止となっている。




写真4 男鹿線貨物輸送


5. 廃線:男鹿〜船川港駅

 石油輸送を目的に、男鹿線の終点である男鹿駅の先にある船川港まで1.8km敷設された貨物専用線で、先に述べた原油輸送の廃止と共に廃線となっている。船川港駅にはジャパンエナジー船川製油所(晩年は船川事業所)や小坂製錬の施設へ至る専用線が分岐していた。多数の留置線があり、筆者が子供の頃はタキの聖地でもあった。現在はレール、枕木共に撤去されており、男鹿駅からわずかな線路が列車入れ替え用に残されている。



写真5 船川港駅跡



6. 現状の男鹿線と今後についての考察

 現在も男鹿線は朝夕の通勤・通学として、また観光の足として、地域の人々の重要な交通手段となっている。本数も約1時間に1本の運行が行われている。しかし、2012年3月のダイヤ改正では昼間の列車3本が利用客の減少により削減されており、必ずしも安泰とは言えない。
この現況をいきなり打破することは難しいが、秋田中心への通勤・通学利用が昔から現在までかなりの利用を誇る(50形の8連、キハ6連がそれを示していると考える)ことから、男鹿線沿線を秋田市へのベットタウンとして再開発、整備してゆくことが一つの案と私は考える。
また秋田県HPで男鹿線沿線にあたる天王、船越地域においてメガソーラー、大規模太陽光発電所を設置する事業者の公募が掲示されており、これが成功した場合、男鹿線にも大きな影響があると考える。
白い車体に緑の気動車がエンジンをふかしながら、ゆっくりと男鹿半島を走る姿をいつまでも見ていたいというのは筆者のわがままであるが、地方ローカル線が苦しい経営を続ける中でも何とか生き残ってほしいと願う。



7. 終わりに(宣伝?)

 本記事をお読みいただきありがとうございました。本記事はY氏の個人的意見も多数入っており、また誤字、脱字、情報ミス等もあると思いますがご了承ください。
 また秋田にお越しの際は、なまはげ、温泉、海産物等、名物たくさんの男鹿半島へ、男鹿線も利用して是非お越しください。



参考文献

JR東日本秋田支社
http://www.jreast.co.jp/akita/
http://www.jreast.co.jp/

秋田各駅停車の旅
http://www.pref.akita.lg.jp/www/contents/1343102808187/index.html

http://www7a.biglobe.ne.jp/~akitetu/jreast/oga/index.html
http://www2u.biglobe.ne.jp/~taku_s/sharyou/oga.html




 
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