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物質応用科学学科 1年 横堀 紘和 |
1.概要 はじめに、都営浅草線とは東京都交通局が西馬込〜押上間で運営する地下鉄のことです。泉岳寺では京浜急行線と、押上では京成電鉄と相互直通運転をおこなっています。 1957年に都市交通審議会第1号答申で馬込〜押上間の1号線(都営浅草線)が東京都の手によって建設されることとなった。これと同時に押上で京成押上線と、途中の泉岳寺で京急本線と相互直通運転を行なう事も決定した。1958年に着工され、1960年に浅草橋〜押上間が開業した。 当初の開通より1日遅れ、さらに、4日の朝の段階でも浅草駅の内装工事が未完成で、許可が下りず、午後2時(浅草橋14時43分発押上行き)にやっと一番電車を走らせることが出来たということからも、いかに慌しい工事だったかが窺える。ちなみに2時までは乗客を乗せずに空の状態で運転していたという。 開通と同時に京成との間で、日本初の地下鉄と郊外鉄道との相互直通運転も開始された。区間は浅草橋〜東中山間である。直通運転開始に伴い京成は、京急、都、京成の3社で決めた直通規格に従い、1372mmから1435mmに改軌された。 その後は順調に大門まで開通した。しかし、大門まで開通した時点で問題が発生した。当初の予定では馬込までの予定だったが、1962年の都市交通審議会第6号答申で、馬込〜泉岳寺を6号線(現在の都営三田線)とし、品川〜押上間を1号線とした。しかし、答申によると、6号線は東急池上線及び東武東上線と直通運転することになっており、軌間は、1067mmにしなくてはならない。1号線の車両基地を馬込に予定していたため、6号線を経由しての出入庫が出来なくなる。そこで、1964年に都市交通審議会第6号答申を修正し、馬込〜泉岳寺間を1号線に戻すこととなった。大門〜泉岳寺間開通が4年も空いているのはそのためである。 1968年の泉岳寺までの開通と同時に京急も品川〜泉岳寺を開通させ、相互直通運転が開始された。さらに同年の11月には西馬込まで開通し、1号線は全線開通した。以下に年表を示す。 1960年12月4日 都営1号線として押上〜浅草橋間開業。京成電鉄と相互直通運転開始。 1962年5月31日 浅草橋〜東日本橋間開業。同日浅草橋駅の線路配線を一部変更。 1962年9月30日 東日本橋〜人形町間開業。 1963年2月28日 人形町〜東銀座間開業。 1963年12月12日 東銀座〜新橋間開業。 1964年10月1日 新橋〜大門間開業。 1968年6月21日 大門〜泉岳寺間開業。京浜急行電鉄と相互直通運転開始。 1968年11月15日 泉岳寺〜西馬込間開業。全線開通。馬込検修場・車両工場が完成。 1970年7月 ラインカラーを導入。 1976年5200形電車営業運転開始。 1978年6月21日 一部定期列車での8連運転を開始する。 1978年7月1日 都営1号線から都営浅草線に改称。 1991年3月31日 北総開発鉄道(現・北総鉄道)と相互直通運転開始。5300形電車営業運転開始。 1995年7月2日 5000形電車の営業運転終了。冷房化率100%となる。 1998年11月18日 地下鉄初の特急列車となるエアポート快特・エアポート特急運転開始。 2000年4月20日 都営浅草線から浅草線に改称。 2002年10月27日 芝山鉄道と相互直通運転開始。 2004年6月 馬込車両検修場完成。馬込工場を廃止。 2006年11月3日 5200形電車の営業運転終了。 2007年3月17日 C-ATSの一部機能を使用開始。 |
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