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根室までの車内で、改めて計画を見てみると、釧路で3時間近くも待つようになっていた。いくら本数の少ない北海道でも3時間もあれば次の列車があるだろうし何かできると思っていた時、M田さんが納沙布岬に行くと言われていた事を思い出した。そこで時刻表を見てみると、あるではないか。見事に根室からすぐの接続で納沙布岬までのバスがあり、向こうで1時間ちょっと過ごした後、根室まで戻って来る事ができ、またすぐの接続で釧路に戻る事ができる。しかも釧路で乗ろうと思っていた釧網本線の最終列車に接続する。これはもう行けと言われているようなものだ。北海道で、しかもバスで10分以内の乗り換えというのは少々危険もはらんでいたが、ただでさえ観光気の少ない乗り潰し旅行である。私の意思は決まっていた。 根室駅前のバス停は、根室駅改札から徒歩30秒といった感じだった。バスはしばらく根室の市街地を走り、それを抜けるとだんだん岬に近づいているという感じの風景になってきた。道路沿いに「北方領土の早期返還を!」とか、「密漁の撲滅」などといった看板がいくつか見受けられた。途中に、歯舞という地名があった。歯舞諸島とはあの島々の事を指すのかと思っていたので、本土にもそのような地名があるとは知らなかった。歯舞の沖に浮かぶ島々だから歯舞諸島なのだろうか。日本最東端の寿司屋、最東端の小学校など、それにちなんだ施設がいくつか過ぎると、納沙布岬に到着。 とても天気が良かった。快晴である。台風明けだったからかもしれない。とにかく、北方領土の島々を綺麗に見る事ができて感動した。「平和の塔」というタワーからはもっとよく見る事ができて、望遠鏡から覗くとロシアの施設まで見えた。考えてみれば私は日本を出た事はおろか、外国の領土を見た事すらなかったので、これが初めてという事になる。まあ北方領土が日本固有の領土だという主張に立てば、外国の領土を見た事にはならないのだけれども。歯舞諸島はどれも何かこう、島全体が赤みがかって、緑はほとんど無いような感じだった。そこら辺からしても、今の北方領土は日本ではないように思えた。国後島も見えると方向が書いてあったが、それはさすがに見えなかった。資料館をまわり、本当の最東端の灯台などに行っていると、あっという間に1時間など過ぎた。帰りのバス・列車では、岬でお互い記念写真を撮った年配の方とずっと話しながら移動した。今は亡き東京‐釧路航路で昔はよく移動したものだという話をしてくださった。その人もやはり首都圏からの来訪者だった。 夜の釧路駅で、M田さんと合流した。この時は差し入れをくださった。私はこれから釧網本線の最終で網走へ、M田さんは釧路に宿を取っているので残る。このように、この旅行中は何度もM田さんと会っては別れを繰り返す事になった。釧路駅は自動改札化されており、JR北海道では札幌都市圏と、道内で人口上位の数都市の中心駅に自動改札機を導入しているようだった。 夜の釧網本線を網走へ。今回心残りな事の一つが、この釧網本線である。昼間は釧路湿原の中を走って景色は最高なのだそうだ。今度来る時はこの区間を是非ともノロッコ号で走りたい。また、鉄道から少し離れて摩周湖にも行けるそうだし、冬になると流氷も見えるだろう。ここはもう、次回にまわすしかない。3時間余りの乗車の後、網走に着いた。釧網本線走破。この時点で走破していたJR北海道の路線はまだ海峡線・千歳線とここだけだった。 網走も刑務所など見所はあるが、今回は立ち寄れない。2度目の夜行オホーツクで、網走を発った。こうして何度も寝台に乗れるのは、幸せである。行きに通った北見を過ぎて遠軽までは起きていた。この時点で石北本線を走破している。その後上川で一度目が覚め、行きに乗った24時間後の逆オホーツクとすれ違ったのを確認した。朝目覚めると、江別を過ぎていた。札幌はもうすぐである。 |
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